[さがしもの 1]
レイジさんに促され、僕は霊園から少し歩いたところにある喫茶店に入った。
その間僕らはずっと無言だった。
なにを話していいのかわからなかったし、なにも話すことはない。
否、なにも話してはいけない気がした。
席に着き、飲み物を注文してから煙草に火を点けると、レイジさんは改めて僕に向き直り、言った。
「きみは、藤野晴海君…だね?」
僕は小声ではい、と言った。
「そっか…」
それからまた少し間があいた。
レイジさんは煙草をふかし、半分ほど吸ったところでそれを灰皿に潰して、口を開いた。
「キョウスケが、いろいろごめんね」
それは、予想外の言葉だった。
このひとは何を言ってるんだろうか。
謝らなければならないのは僕だ。
なぜこのひとは、ナナシの代わりと言わんばかりに僕に頭を下げるんだろう。
意味がわからなかった。
そうして絶句している僕に、レイジさんは言った。
「君には、あいつが迷惑をたくさんかけたって、あいつから聞いてる。
もうキョウスケは謝れないから、俺から謝る。ごめん。
許してやってくれなんて言わないけど、あいつは」
そこまで聞いて、僕は堪らなくなった。
謝らなければならないのは、ナナシでもこのひとでもない。
なのになぜ謝るんだ。
そんな思いが込み上げて、僕は震えた声でレイジさんの言葉を遮った。
「やめてください。」
レイジさんは驚いたように、僕を見た。
「謝らなくちゃいけないのは、ナナシでも貴方でもなく、僕なんです。
僕が悪い。僕は最低な人間なんです。
僕が、ちゃんとしてれば、ちゃんと、ナナシを見捨てたりしなければ、だから、」
言葉がこんがらがる。
口がうまく動いてくれない。
泣いてる場合じゃないのに、涙が止まらない。
口に出すと尚更わかる。
自分がどれだけ最低な人間なのか。
終いになにも言えなくなって、僕は頭を深く下げた。
「すみません、でした」
それ以上、なにも言えなかった。
嗚咽が漏れる。胸が痛い。とてつもなく苦しい。
いっそ罵倒して、殴り付けてほしいとすら思った。
しかし、かえってきたのは、またしても予想もしない言葉だった。
「…藤野君」
「はい」
「聞かせてもらっていいかな。キョウスケの話。
んで、きみがなんで謝ってんのか。
…俺にはサッパリわからないから」
僕は驚いて顔をあげた。
レイジさんは本当に困ったように、僕を見ていた。
このひとは、本当に何も知らないんだ、と僕は思った。
「俺が知ってんのは、キョウスケが五年前に火事と自殺未遂事件を起こしたこと。
…そんときに、友だちを巻込んだこと。
んで」
あの日のことをなぞるようにレイジさんは言った。
「それを死ぬまで後悔して、巻込んだ友だちに謝りたがってたことだけだ」
すべてが過去形で語られることに、ああ本当にナナシはもういないんだ、と改めて思った。
「…でも、きみの言い方からして、それだけじゃ、ないんだろ?話してくれないか」
僕は頷いて、話をした。
包隠さず、というわけにはいかない。
幽霊がどうとか怪しい本がなんだとか、そんなことを信じてもらえるとは思ってないし、ナナシや僕が頭のおかしな人間だと思われるのも嫌だった。
とにかく、いつからかナナシが少しずつ今までとは変わっていったこと。
なにかに怯えていたこと。
…それに気付いていながら、ナナシが変わっていくのが怖くて、なにもしなかったこと。
そしてあの日、いっしょにいてほしいと、いっしょに死んでほしいと言われたのに叶えてやれなかったこと。
そして、怖くなって彼から逃げ出したことを。
レイジさんは黙って聞いていた。
煙草を吸うのも忘れて。
そして、僕が話し終えると、
「…ありがとう」
と言って、テーブルに置かれていた紙にボールペンでなにかをさらさらと書出した。
「あの、」
「これ、俺の番号。きみに、見せたいもんがある。
よく考えて、見てもいいって思えたら電話して」
それだけ言い、紙を渡すとレイジさんは伝票を持って出ていった。
呆然としながら、僕は御礼も言えずに座り込んでいた。
それから、どこをどうして帰ったのかは覚えていない。
いつの間にか実家に帰宅した僕は、ベッドに寝転びながらずっと、その紙を見つめていた。
見せたいものって、なんなのか。
わからないけれど、なぜだろう。
見なくてはいけない気がした。
考える必要など、ない。
僕はその日の夜、書かれた番号に電話を掛けていた。
[さがしもの2]
それは今も忘れられない、雲ひとつない青空の日だった。
青というよりも薄紫だろうか、透き通るような空合。
その日、待ち合わせ場所の駅にレイジさんは車でやって来た。
「乗って」
笑った顔がナナシにそっくりで、生きていれば10年後くらいにはナナシはこんなふうになったんだろうかと想像した。
意味もない想像をすることで、リラックスしたかったのかもしれない。
挨拶をして助手席に乗り込み、シートベルトを締める。
レイジさんが煙草片手にハンドルをきり、車は進み始めた。
どこに行くんですかと尋ねると、
「俺の家だよ。…去年までキョウスケがいっしょに住んでた、ね。」
とかえってきた。
ナナシの家、というとあの立派な日本家屋しか浮かばない。
僕は不思議な気持ちだった。
そのとき唐突に、レイジさんが口をひらいた。
「晴海くんはさあ、キョウスケの母親の話はどこまで聞いてる?」
本当に唐突な質問だった。
これがレイジさんの地なのか、とてつもなく明るいノリだが、かなりナイーブな話題だ。
しかし黙っていても仕方がないので、知ってることはすべて話した。
旦那さんが出て行ってしまってから、ナナシとの関係がおかしくなってしまった事。
ナナシが十二歳のときに、転落死されたこと。
それを黙って聞いていたレイジさんは、僕が話終えると静かに口をひらいた。
「で、おかしくなった母親を、キョウスケが突き落として殺した。…でしょ?」
背筋が凍った。
なぜそんなことを、否、僕がそう思っていることを、このひとは知ってるんだろう。
「そう、キョウスケに言われたんじゃないかな?『母さんを殺したのは俺だ』みたいに。」
レイジさんは寂しそうな笑顔を浮かべた。
正確にはアキヤマさんからそう聞いていたのだが、ナナシ自身もあの炎のなかでそうほのめかしていたので、僕は頷いた。
「違うんだよ、藤野君。」
違うんだ、とレイジさんは首を振った。
「あの日、姉貴の…あ、キョウスケの母親ね。
姉貴の病室行ったら、キョウスケも姉貴もいなくてね。
白い封筒だけあって。
やな予感して、屋上行ったんだ。」
右にハンドルをきりながら、レイジさんが煙草を消した。
「あそこによくふたりで行ってたからね。
…したら、キョウスケが座り込んでて。」
あとは、わかるよね。とレイジさんは言った。
「正直俺も、キョウスケが突き落としたんじゃねぇかなって思った。
でも、違うんだよ。考えりゃわかるんだ。
ちびガキのキョウスケが、女とはいえ大人を突き落とせるわけねーし。
遺書も、あったから。」
僕は、自分が恥ずかしかった。
そうだ、考えてみればわかる話だ。
今や中三のときならまだしも、小学生のナナシがあの背の高いお母さんを突き落とせるはずがないのに。
ナナシを疑った自分を殺してやりたい気分だった。
信号にひっかかり、車がとまる。
レイジさんが二本目の煙草に火をつけるのを、僕は黙って見ていた。
「キョウスケに自分がしたこと、謝ってんの。
馬鹿だろ?テメエで謝れっつーの。
てかあやまんならすんなよな」
煙草の灰がレイジさんの膝に落ちる。
「…キョウスケが、怯えんだと。
普通に話してんのに、頭撫でようとしたりしただけで、ビクつくんだと。
当たり前だろ?したこと考えてみろっての。
…んで、自分が生きてるとキョウスケがずっと可哀相だからーとか書いててさ。
バカバカしい。病みすぎだろ」
レイジさんは吐き捨てるように言った。
「…そっから、キョウスケもおかしくなって。
いっしょに住もうって言っても、あの家から離れなかったし。
自分のせいだ、って。」
「そんで、最後は家燃やして。
…晴海くん巻込んで、死ぬまで後悔して、早死にしてさ。
馬鹿だろ、親子そろってさ」
二本目の煙草が灰皿に捨てられた。
僕はなにも言えなかった。
「そんな馬鹿が、残したもんがあるんだ。いまから行くとこに」
レイジさんは言った。
「見てやって、欲しい」
僕は黙って頷いた。
前方に、白いマンションが見えて来ていた。