車に揺られて数十分。
目的地に到着し、贈り物の本を片手にレイジさんの車を降りた。
冷たい風が髪を揺らす。
ああもう冬なんだなあと実感した。
「晴海君、先行ってて。水汲んでくる」
レイジさんはそう言い残し、水汲場に向かって歩いて行った。
それを見送り、僕はラッピングされた二冊の贈り物をしっかり抱えて彼の場所に向かう。
今は世界のどこにも存在しない人々の名前が刻まれた櫻御影石が立ち並び、足元ではじゃらじゃらと砂利が音をたてる。
靴の隙間に入った砂利に顔をしかめながら歩を進めると、小さな墓石が目に入る。
ここに、彼がいる。
僕の親友が。
「…ひさしぶりだね」
声を掛けても返事などない。
そんなことはわかりきっているが、この石の下に彼の欠片が眠っていると思うと、いつもつい話しかけてしまう。
大切なひとをなくしたひとは、皆そうなのだろうか。
それとも僕だけが特別変わっているのか。
わからないけれど、僕は彼に話しかけた。
「今日はね、プレゼントがあるんだよ。誕生日だっただろ?」
僕はそっと彼の墓前に本を置いた。
東急ハンズで買ったちょっと凝ったデザインのしおりも、その上に並べる。
「これさ、けっこう高かったんだよ?大事にしろよな」
僕は笑って言った。
そして、その不毛なやり取りに涙が出た。
いつまでたっても、慣れない。
きみはもういない。
「…ナナシ」
刻まれた彼の名前に指を這わせながら、名前を呼ぶ。
返事などない。彼はもういないのだ。
僕が見捨てた、逃げた。
きみはもういないんだ。
僕が、僕が
胸がキリキリと痛い。胃がグルグルする。吹く冬風すら痛い。
ふたたび自己嫌悪の海に溺れそうになる。
そのとき、ふと気配のような、風のような何かを背中に感じて、僕は振り返った。
そこには、立ち尽くすおんなのひと。
柔らかそうな短い髪。
白い肌。
薄灰色のワンピース。
そして、彼によく似たまなざし。
あの、ひとだ。
それはいつか見た彼の最愛のひとと同じ姿で
しかし屋上や燃盛る家で見たあの異形のものとは違っていた。
写真で見た、そしてあのとき僕らに御礼を言ってくれたときとおなじ柔らかい表情。
あ り が と う
おんなのひとの唇がかすかにそう動いた。
彼女は笑っていた。
歪んでいない。怖くない。
優しい優しい笑顔だった。
そして僕は泣いた。
ナナシ、呼び出したりしなくたって
なにもしなくたって、
君が欲しかったものは、ちゃんとそばにあったんだよ。
君は間違えたんだ。
きみをいつだって、このひとは見つめていたんだよ。
優しい瞳で、残してきたきみを。
たくさん傷付けたきみを。
きみがそれに気付けていたら、きみは間違ったものを呼び出さずにすんだんだよ。
一生懸命になんかならなくてよかったんだよ。
きみは、きみは
きみは、しあわせになるべきだったのに。
そんな思いが頭に渦巻いた。
おんなのひとはゆっくりとお辞儀をした。
そして、また優しい笑顔を浮かべて、ゆっくりと薄れて、消えた。
僕も、彼女に向かって頭をさげた。
あのときこそ知らなかったけれどナナシの最愛のこのひとは決してこわいひとなんかじゃなかった。
優しい、可哀相なひとだった。
なのに僕らは。
「…ありがとう、なんて」
そんなことを言ってもらえる人間では、僕はない。
けれど、彼女がくれたであろうその言葉に僕の胸や胃の痛みは少し和らいでいた。
「晴海君?」
いつの間にか戻っていたレイジさんに肩を叩かれた。
どうしたの、と問うそのひとに、僕は笑って首を振った。
「なんでもないです」
レイジさんは怪訝そうな顔をしていたが、すぐにいつもの笑顔に戻って、汲んできた水を墓石に掛けた。
彼が泣いているかのように、刻まれた名前が濡れた。