物事には終りというものが必ずあって、それは突然に訪れるものだと知ったのは15の冬の終盤だった。
卒業を目前に控え、慌ただしく日々が過ぎる中、僕の親友は学校を休みがちになった。
以前は学校を休む事などほとんどなく、たかが一日休んだだけで心配して見舞いに行ったくらいなのに、ここ最近は教室にいるのを見ることが珍しいほど、彼は学校に来なかった。
時々学校に来ても、何を聞いてもヘラヘラ笑うだけで何も言わなかった。
会う度に目の下の隈は濃くなり、見るからに痩せて、声は掠れている。
それを心配しても、なんでもないと言い切り、そして他愛のない話をしては、またヘラヘラ笑って帰って行く。
そして次の日は来ない。
それの繰り返しだった。
でも、そんな物足りないほど他愛ない日常も、幸せだったと気付く事件が起きた。
その日、やっぱりナナシは休んでいた。
そのことに特別何も思うところはなかったが、帰り際。
「藤野、七島にコレ渡しといてくれ」
進路関係の書類をナナシに届けて欲しいと、担任から頼まれた僕はナナシに渡しに行くハメになった。
怖い思い出しかないナナシ宅に行くのは気がひけたので、電話で公園に呼び出すことにした。
そして夕方、ナナシはやって来た。
随分とフラついた足取りで、ヒラヒラ手をふりながら。
隈はますますひどくなっていて、流石に僕は心配し、ナナシを問詰めた。
「お前、どうしたんだよ?」
「別に、なんもないよ?」
「んなわけないだろ。なんだよその隈。頼むから・・・答えてくれよ」
真剣に言った。
すると、ナナシはゆっくりと、静かに言った。
「成功したと、思ったんだ。うまくいったって」
絶望的な笑顔をナナシは浮かべていた。
泣笑いとでもいうのか、無理矢理笑ってるような表情。
「何が?」
と尋ねると、ナナシは声を震わせて言った。
「・・・大丈夫。今日、全部終わらせるから」
ナナシはいつものようにヘラヘラ笑った。
終わらせるって、なにを。
そう思ったけど、聞くことはできなかった。
何故か、そのとき、ナナシが別の世界の人のように思えた。
ナナシと別れてからも、頭の中はナナシが何をする気なのか、そのことでいっぱいだった。
自棄を起こさなきゃいいが、ナナシなら何をしでかすかわからない。
墓でも荒らすのか、黒魔術でもやるのか、見当がつかなかった。
ナナシが言う『成功したと、思った』ってことの意味もわからなかった。
そんなことばかり考えていた、深夜三時。
突然、携帯が喚き出した。
表示される名前を見れば、アキヤマさんからの電話だった。
「もしもし」
「ヤバイことになったみたい。嫌な予感がする。早く来て。急いで!!」
それだけ言うと、アキヤマさんは電話を切ってしまった。
どこに行けばいいのかも言わないで。
でも、何故だろう?わかっていた。
ナナシの、あの家だ。
僕はパジャマのまま家を飛び出して自転車を必死にこいでナナシの家に向かった。
道の途中、アキヤマさんと出会った。
アキヤマさんは僕と同じような出で立ちで、ガタガタ震えていて、顔面蒼白だった。
「どうしたの!!ナナシは!?」
「わからない。わからないけど、ヤバイ。
ヤバイよ、どうしようもない。どうしよう」
いつも冷静なアキヤマさんが動揺している。
どうしてしまったんだ?
何が起きたんだ?
わからない。
僕はアキヤマさんを後ろに乗せて再び走り出した。
すると
「あああああああああああああああああああああああの女があああああああああああああああ悪いんだあぁああああああああああぅううあぁあああああああああのおおおおおお女がああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
濁ったようなどす黒い声が聞こえてきた。
アキヤマさんかと振り返ると、アキヤマさんは鬼のような形相で
「は や く 走 っ て !! 追 い つ か れ る!!」
と叫んでいた。
その後ろ、僕の自転車の後輪のやや後方に、四つん這いになって走ってくる女がいた。
目は窪んでいるのか穴が空いてるのか真っ黒くて、口は縦に大きく開かれていた。
そしてものすごいスピードで走ってくる。
怖かった。
怖くて怖くて仕方なかった。
声は近くなるような遠くなるような状態を繰り返している。
ハッキリと呪いの言葉を吐きながら。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!」
耳が痛かった。
呪われている気分だった。
それでも必死に自転車を走らせた。
アキヤマさんは僕にしっかりしがみついていた。
でも、その手も震えていた。
声はいつの間にか消えて、その頃には僕はナナシの家に着いていた。
自転車を降り、インターホンを鳴らした、そのとき。
「ギャアァアアアアアァ!!」
凄まじい声が、家の中から聞こえてきた。
断末魔ってああいう声を言うんだろうか。
腹の底から絞り出したような声。
僕とアキヤマさんはナナシが出て来るのを待てず、ドアを開けようとした。
すると
「・・・どうしたの?」
ちょうどドアが開き、ナナシが出て来た。
虚ろな目で僕とアキヤマさんを捕らえていた。
片手には包丁が握られている。
「晩メシ作ってたんだよ」
ナナシは包丁をヒラヒラとさせると
「用事ないなら、帰れよ」
と言った。
突き放すような言葉だった。
直感的に、いつものナナシじゃない、と思った。
さっきの悲鳴はなに?
あの追いかけてきたものは?
大体夜中の三時に晩メシ作るわけないし。
聞きたいことはたくさんあるが、なにも言えなかった。
不安になってアキヤマさんを見た。
アキヤマさんは震えてうつむいていた。
そして静かに
「帰ろう」
と呟いた。
僕はわけがわからないままアキヤマさんに手をひかれ、自転車を引きながら帰った。
アキヤマさんはずっと黙っていたし、僕も黙っていた。
そして曲がり角で、アキヤマさんがポツリと言った。
「もう、だめだ。どうしようもない。もう、手遅れだ」
泣きそうな声だった。
それだけ言うと、聞き返す間も無くアキヤマさんは走って行ってしまった。
その言葉の意味を理解することになったのは、その次の日のことだった。
そしてそれが、最後の夜になった。