子どもの頃、家の事情で一時的に母方の実家で暮らすことになった。
すぐに友達は出来るなんて思ってたんだけど、慣れ親しんだ土地を離れるだけじゃなく、両親とも離れて暮らさなきゃいけないってのが当時は辛くて、友達が中々出来なかったんだ。
だから、休みの日とか放課後は、山で一人で遊ぶのが日課になってたんだよね。
もちろん、一人で山行くなって言われてたけど、都心に住んでた俺にとっては、山がすごく面白くて、初めて見るものばっかりで、自分を抑え切れなかったんだ。
まぁ、大体は山をだらだら歩いたり、自分だけの道とか、遊び場を作ったりしてたんだけど、時々寂しくなっちゃうんだよね。
弟が生まれつき身体が弱かったから、あまり両親にかまって貰えなかったってのもあって、子どもながら孤独を感じる事が多くて、でも誰にも言えなくて…。
両親と離れたら心だけじゃなく、身体まで離れちゃったとか考えちゃってさ。
だから、山で遊びながら一人で泣いたりとかしてたんだけど、ある時泣きながら歩いてたら道に迷っちゃったんだ。
獣道みたいな所になって、方向感覚も狂った感じで、相当焦ったんだけど、気付いたら小奇麗な神社に出たんだ。
狐の像が両脇にあったから、稲荷神社だと思うんだけど、人が来る場所に出られたって思って、凄い安堵した気がするんだよね。
後はそこから道に沿って下ったら家に着いたんだけど、何故かその神社だと落ち着ける様な気がして、それ以来、その神社でよく遊んでたんだ。
まぁ、その当時は何もなくて、ずっと一人だったんだけど、弟の調子が良くなって家に帰ることになったんだ。
友達はほとんど出来なかったから未練はなかったんだけど、お気に入りの場所になった神社にお別れしなきゃって思って、その神社に行ったら、ちっちゃい狐の木製の像が置いてあって、何を思ったか、俺はそれを神社の人がくれた!って思って、持ち帰っちゃったんだ。
それから10年くらいたって、俺も成人して、像のことなんてすっかり忘れてた。
もちろん、どこにしまったかも忘れちゃってさ。
昔の事はほとんど思い出さなくなってたんだけど、半年前にその像が出てきたんだ。
その時はドライブの帰りで、ゆっくり走ってたつもりなんだけど、落石があった場所を通過するときに、大きな石を踏んじゃって単独事故を起しちゃったんだ。
ああ、俺死んだとかぶつかりながら思ったんだけど、幸い軽い怪我で済んだ。
その後、車を廃車にする前に荷物を取りに行ったんだけど、そこでその像を見つけたんだ。
何で?おかしい。
何年も見てなかったのに。
車も買って1年くらいだから、入ってるはずないとか色々考えたんだけど、像が助けてくれたんだなって結論になったんだ。
それで、お礼しなきゃまずいなって思って、母方の実家に久しぶりに行ったんだけど、神社がどうしても見つからない。
前はすんなりいけたのにね。
まだ祖母は生きてるから、
「神社どうしたの」
って言ったら、
「神社は元々ない」
っていう。
おかしい。
「実は俺、こっちに居る時に山の神社で遊んでたんだ」
って言ったら、
「いつも同じくらいの男の子と一緒に遊んでたって楽しそうに話してた」
って言われてさ。
俺が小さいとき嘘ついてたのかとか思ったんだけど、そんな話をした覚えは無い。
それでよく思い出してみると、その時の記憶がすごく曖昧な事に気づいたんだ。
他の記憶よりもぼやけてる感じでさ。
それで色々自分の記憶が掘り起こしていったら、同じ年代の男の子とよく遊んでて、最後に山で遊んだ時に、あの像をもらったことを思い出したんだ。
確か
「ずっと友達だよ。
○○(俺)は一人じゃないから。
これはお守りね」
って感じの事言われて、
俺も
「ずっと友達。絶対忘れない」
みたいなこと言ったんだよね。
そしたらちょっと悲しそうにしてて、お別れだから悲しいんだって感じた気がする…。
長くなっちゃったけど、これが自分が体験した不思議な話です。
今もあまりはっきり思い出せなくて、曖昧な感じなんだけど、何で忘れちゃったのか、神社で一人で遊んだって覚えてたのかがわからないんだ。
それに、像が車から出てきたのも。
ただ、像を貰ってから、自分の生活は変わったんだよね。
というより、自分が変わったって言うべきかな。
積極的になって、地元で友達もたくさん出来た。
それと比例して、実家でのことを忘れてった気がする。
ちなみに、その像は、今は家の社にお稲荷さんと一緒に祀っています。
きっと、さびそうにしてた俺にかまってくれたんだなぁって今は思ってます。