小学校の6年生のときの話。
うちの地方では小正月の1月15日に近い土曜日の夕方に、『だんだら焼き』というのをやる。
他のとこでは『どんど焼き』と言うことが多いだろうけど、それのなまった形だと思う。
青竹と藁を組んだやぐらを燃やして、そこで注連飾りや古くなった御札類を焼く。
当時俺は書道の塾に行ってて、そこの生徒達は正月の4日に強制的に書き初めをさせられ、新しい年の目標を書いたのを焼くことになってた。
だんだら焼きは地区ごとに町の4ヶ所でやるんだけど、書道塾の仲間は違う地区のやつでも、本町の神社前でやるメインのに来てたな。
その日は6時頃に飯を食って、書き初めと家族に前から頼まれてた正月飾りを持ってでかけた。
行ってみるともう火は焚かれて、友だちもかなり集まってた。
いろいろ話をしていると、神社から神主さんが出てきて祝詞を唱え、神社の大きな鏡餅を割った。
その後は特に儀式とかもなくて、各自が火に近づいていって燃やすものを投げ込む。
それから串に刺した餅を焼いて食べたりミカンをもらったりして解散する。
それだけなんだけど、子どもとしては暗い中で大きな火が燃えてるというのはけっこう興奮する行事だった。
バチバチ青竹がはぜる中を、友だちと火を囲んだ人垣の中に入って、リュックから出した飾りなんかをこわごわ投げ込んでいると、横に藁のミノ?を着た大きな男の人が割り込んできた。
雪の降る地方なんでみんなコートやジャンバーを着てるけど、そんな格好の人は見たことがなかったんで、
あれっと思って見上げると、男は昔風の笠をかぶってて顔が見えなかった。
わずかに見えるあごのあたりがすごい青い色で、絵の具を塗ったような感じで気味悪かったのを覚えてる。
ただこれは今にして考えると、焚き火の照り返しでそう見えただけかもしれない。
その人は白い布袋からダルマを取り出したんで、さらにあれっと思った。
俺らの地方ではダルマはこの日に焼くと目がつぶれるという言い伝えがあって、焼く人はいないからだ。
その人が持ってるのは20センチくらいの大きくないダルマで、目が両方とも入れられていない。
というか、そもそも最初から目玉を描く丸がなくて、鼻とひげ以外はつるっとしてる。
それで、普通は必勝とか合格とか書かれているとこに何か長く書かれているけど、崩し字で読めなかった。
何となく人の名前のような気がした。
その人は無造作な感じで火の中にダルマを投げ込んだ。
するとダルマは火が移ってくると左右にゆがむ感じで動いてパチンとはじけた。
楊枝でつつく玉ようかんみたいな割れ方で、外側が丸まって見えなくなった。
中から内蔵のようなのがでろんとこぼれて、湯気を立てて焼け始めた。
不思議なんでずっと見てたら、その人がこっちに気づいたようで体をこちらに向けて袋の中をさぐり、白い布包みを取り出して手の上で開いて、何も言わずに差し出してきた。
ささくれてごついけど当たり前の手だった。
包みの中は四角いもろこしのような菓子で4個あった。
俺は怖かったんでヒジでつついて友だちに知らせ、断ることもできずにその菓子を2個ずつもらった。
その人は無言のまま、後じさりするようにして帰っていった。
その後に神社の餅のかけらなんかをもらって解散だった。
友だちもミノを来た人を見て不思議がっていたけど、さっき見たダルマのことは言わなかった。
何でと聞かれても困るけど、そのときは言ってはいけないという気がしたんだな。
友だちと別れてから、家の近くでもらったもろこしを出して田んぼの雪の中に捨てた。
それ以後、中学生になってもだんだら焼きに行ってたけど、それらしき人を見かけることはなかった。
このことも家族にも言わないままずっと忘れてたんだけど、この間東京に出てるそのときの友だちが、大学のラグビー中の事故で片目を失明したという話を聞いた。
関係ないのかもしれないけど、それでこのときのことを思い出して書いてみたんだ。