[ナナシ 第15話]終わりへの秒読

[ナナシ 第15話]終わりへの秒読 俺怖 [洒落怖・怖い話 まとめ]

[終わりへの秒読 0]

変わり始めたのはいつだっただろう。
終わりを予感したのはいつのことだったのだろう。
考えても仕方ないことを考えながら、あのころを思い出す。

外を見れば大粒の雨。

ああ、そうだ。と自分に頷く。
最後の年の冬の、ちょうど今日のような雨の日だった。
白い息も消え失せる土砂降りの雨の日。横殴りの雨に傘も役に立たなくて、ずぶ濡れになりながら家路についたあの日だ。

僕が、変わり始めた君との先に、終わりしかないのだと微かに気付いたのは。

[終わりへの秒読 1]

中学生最後の年の冬のその日。
普段滅多に学校を休まない親友が、珍しく休んでいた。
いつもヘラヘラ笑いながら落書きだらけのノートを広げているナナシ、その姿のない机はひどくおおきく見えた。

風邪でもひいたのだろうか、とアキヤマさんに聞いてみても、

「あたしは何も聞いてないよ。藤野こそなにか知らないの?」

と逆に聞き返される。
それならば、とHRの為に教室に入ってきた担任に同じことを尋ねるが、やはり知らないという答えしかかえって来なかった。
それもまた不思議に思った。

家庭の事情からひとりで暮らしているナナシは、休むときには必ず僕かアキヤマさんに伝達を頼むか、自分で学校に連絡を入れていた。
無断欠席など、一度もなかったのに。
そう思うと、いよいよなにかあったのではないかと不安になるが、それを理由に早退などできはしないし、嘘が下手な僕は仮病を使ってもすぐにバレてしまうだろうことはわかっていたので、どうすることもできなかった。
また、慌てて駆け付けて本人がケロリとしていたら死ぬほど恥ずかしい。
そうしてたくさんの言い訳を身に着けて、不安を隠しながら僕は授業を受け続けた。
しかし、不安というのはそう簡単に隠せるものではない。

早く終わってくれないかな、ナナシが心配なんだ。
あいつは自分を大事にしないとこがあるから、もしかしたらご飯を食べてなくて倒れてんのかもしれない。
いや、もしかしたら高熱で連絡もできなくて…
と、嫌な考えばかりが巡った。

先生の言葉やクラスメイトたちの声はまさに右から左に流れていく。
ようやく全ての授業が終わったとき、どのノートもほとんど真っ白だったのに気付いて少し青くなった。

やけに長い半日が終わり、荷物を鞄に詰め込み始めているとアキヤマさんが声を掛けてきた。

「あいつのとこ、行くの?」

あのアキヤマさんとすら喋るのももどかしく、手を動かしながら頷く。

「でも、家には『あのひと』がいるよ」

ぴたりと自分の手が止まるのを、僕は他人の動作を眺めるように見ていた。
そうだった。
あいつの家には、本来いるはずのないひとがいるんだった。
本音を言えば二度と行きたくないと思っていた。
だからスッカリ忘れていた。
思い出した途端に、不安より恐怖が勝り始めた。

「…取り敢えず、電話だけでもしないと」
「…そうだね。」

アキヤマさんはそれ以上なにも言わなかった。
それから僕はナナシの家ではなく、通学路にある公衆電話を目指して走った。
今日は生憎の雨だが、傘を差すこともせずびしょ濡れになりながら走った。
今にして思うと、なにがそんなに不安だったのかわからない。
たしかに滅多に休まない、それも無断欠席などしたことのないナナシが無断欠席してるのだから、多少心配になるのはわかる。
でも、わざわざずぶ濡れになりながら走り回ってまで連絡を取ろうとするなんて、異常としか思えない。
連絡なんて、べつに帰宅してから取るのでも良かったはずなのに。
何故かあの時僕はなるたけ早くナナシの安否を知らなくてはいけないと思った。
自分がナナシという親友に依存気味なのは今もあの時も自覚していたけど、それにしてもそのときの僕はおかしかった。

無意識に気付いていたのだろうか。
ナナシが僕とは違う世界に行ってしまうだろうと。

銀杏並木の道を抜けて、地下鉄の駅を曲がり、その次の角にある煙草屋の公衆電話に飛び付き、頭に刻み込まれているナナシの家の電話番号に電話を掛ける。
2回、3回、とコール音だけが響き、7回目に留守番電話になった。

「はい、七島です。ただいま留守に…」

ゾワリ、と肌が泡立つのがわかった。
それは、ナナシの声ではなく、機械の声でもなく、ナナシのお母さんの声だった。
いつかのあの日、「ありがとう」と僕らに囁いた死者の声と間違なく同じだった。

もちろん、留守電は残せなかった。

仕方なく公衆電話を後にした。
しかし、なんとなく真直ぐ帰る気になれなかった僕はまたなんとなく公園に寄って行こうと考え家とは真逆の方向に歩いた。

あたりはすっかり暗くなっていた。
雨に濡れながら歩く僕のような物好きはそうそうおらず、誰ともすれ違うことのないまま僕は目当ての公園についた。
大きな樹があるその公園は、僕がナナシにアキヤマさんへの想いや家族のこと、将来の夢なんかを語るときにいつも訪れる公園だった。
今はもう樹は切り倒され、面影もないけれど、そのときの僕にはとても大切な、心が落ち着く場所だった。

そして、中に入りブランコに腰掛けようとしたとき。

ザク ザク ザク

と、地面を掘るような音が聞こえた。
音のした方向を見てみると、

「ナナシ…?」

かの親友は、そこにいた。
あの大樹の下に。

公園に入ったときは、遠目だったし薄暗かったので見えなかったがそれは間違なくナナシだった。
全身ずぶ濡れで、僕と同じく傘もささずに真冬の寒空の下で、白いカッターシャツとGパンを泥だらけにして、大きなスコップ
でザクザクと地面を掘っていた。

「ナナシ!何してんだよ!」

わりと離れた場所にいるナナシに聞こえるようにと大声をあげたが、車と雨の音でそれは書き消されたらしく、ナナシは振りむきもしなかった。

ただただ、一心不乱にスコップを動かしている。
なんだか怖くなって、ぬかるみも気にせずナナシのもとへ走った。

「ナナシ!ねえ!ナナシ!」

雨と霧で視界がぼやける。不意に足がもつれて、前のめりに転んだ。
痛みにうめきながら顔をあげると、

「ハル?大丈夫?」

ナナシが同じく泥だらけの手を差し延べていた。

「いたいよ…馬鹿」

俺のせいじゃねーじゃん、と相変わらずのヘラヘラ顔で笑うナナシにカチンときた僕は、あらんかぎりの大声でナナシに怒鳴った。

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!なんで無断欠席とかしてんだよ!心配するだろ!
ちょっとは僕のことも考えて行動しろよ!こっちはもしかしたらナナシが倒れてるかもなんて考えてロクに授業聞けなかったんだぞ!
ノート真っ白だよ!これで成績下がったらナナシのせいだからな!!!」

「はいはい。俺が悪かったです。ゴメンねハル」

子どもをあやすような口調と、崩れることのない笑顔に僕はさらに逆上した。
そして、いちばん聞きたかったことを口にした。

「大体なんでこんなとこにいるんだよ!」

-…聞かなければ良かったと、すぐさま思った。

ナナシの笑顔が、泣き出しそうな
それでいてさもおかしそうな、歪んだ笑顔に変わったから。

「な、なし、」
「あのねハル聞いて俺ね?つくりものをしてたんだけどねうん頑張って作ったんだよ材料あつめも大変だったんだよ?」

ナナシはなにも見ていない目を僕に向けて異常な早口でまくし立てた。

「ほんとにいっしょうけんめいいっしょうけんめい作ったんだよ頑張ったよ死ぬほど頑張ってがんばったんだよ俺すごいでしょえらいでしょいいこでしょ褒めてよハルあはははでもね」

唐突に言葉を切った。

「失敗しちゃったから、ここに埋めたんだよ。
もう二度と見たくないからね?こんな失敗作」

ナナシはスコップで地面を差した。

僕は悲鳴をあげそうになった。

地面が、ウネウネと動いていたから。
まるで、今にも何かが中から這出してやろうとしているかのように。

「あ、な、ナナシそれ」
「あ…まだ動いてる」

だめだなあ、と笑うと、ナナシは

ザ ク ッ

スコップを、勢いよく振り下ろした。
グチャリ、と嫌な音がした。
泥の音でも、地面の音でもない、なにかやわらかいものが潰れる音に聞こえた。

「だめだなあ、死んでって言ったのに」

ナナシはスコップを引き抜くと、また振り下ろした。

「ナナシ、やめて、やめ」
「失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗作のくせに失敗作のくせに失敗失敗失敗」
「ナナシ…っ!」

ブツブツと言葉を吐きながらスコップをひたすら振り下ろすナナシに、僕はただひたすら怯えた。
その背中にすがりついて、やめてくれと叫んだ。
ナナシは何がしたいのか、なにをしてるのか全くわからなかった。
ただただ、怖かった。
このままじゃ、どこか遠くに行ってしまうような気がした。

どうしちゃったんだよナナシ。
何してんだよ。やめてよ。元に戻ってよ。
僕は叫んだ。けれどナナシは、やめなかった。

いつもなら、僕が泣いてやめてくれと頼めばやめてくれたのに。
もう僕の声は届いていなかった。
彼は絶叫しながら、なにかに絶望しながらひたすらスコップを振り下ろしていた。

我に帰ると雨は止み、ナナシはもうスコップを持っていなかった。
マメが潰れて血まみれになった痛々しい手で、放心した僕を抱き締めながら

何度も「ゴメン」と呟いていた。

あの夏からおかしかったのには気付いていた。
少しずつ変わっていくのを知っていた。
でも、信じてたんだ。
まだ、君はナナシだって。
僕の親友の、優しくてお調子もので、いつもヘラヘラ笑ってる、ナナシなんだって。
信じてたのに。

「大丈夫だよ」

と彼の背中を叩きながら、僕は深く静かに絶望していた。

カウントダウンが、始まった。

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