狩りの達人であるエスキモーの雪ソリに同乗して、僕は見渡す限りの氷原を進んでいた。
とある事情から、この氷原を越えねばならなくなり、運良く酒場で彼と出会えたのだ。
屈強の犬たちの引くこのソリでも四日はかかる日程だが、大量の食料と燃料を買い込んだので、万が一吹雪などで即席の氷の家に避難しなくなったとしても、二週間は余裕だったろう。
遠く、水平線に別な犬ソリが見えた。
滑るように走っているようだが、あまりに遠いので、同時に止まっているようにも見える。
肩を叩いて指差すと彼は舌打ちして顔を前へ戻した。
「まだ初日なのに」
そうつぶやいたきり厳しい表情でただ進行方向をにらむように彼は見つめ、犬たちを急がせる。
それで僕もそれ以上は何も言わず、また彼に倣ってそのソリを見ないようにした。
夕暮れ、野宿のためのテントにふさわしい場所を探そうと、彼はソリを止め周囲を見渡す。
僕も立ち上がって見渡すと、例のソリが、まだ水平線に、ほのかに赤く光って見えた。
彼もすぐに気づいた様子だったが、そのままギクリとしてそのソリをにらみつける。
反対側の水平線にも同じものを見かけて僕がそう告げると、彼は弾かれたように手綱を打ち犬たちをギリギリの全力で走らせ始めた。
落ちそうになった僕はあわてて彼の横に座り直し、ひどいじゃないかと怒ると、彼は前を向いたまま青い顔で答える。
「あんた、呪われてるのか?
徹夜で行くぞ!
明日の夕暮れまでに着くはずだ!」
明らかに彼は、あのソリが何なのか知っている様子だったが、とても聞ける有様ではなかった。
ウォッカで互いに体を暖めるうちにも、例のソリはさらに増えて、右手に二つ、左手には今ちょうど三つめが現れたところだった。
満天の凍てつく星空の下、地上に落ちたオーロラの破片のようにほの赤く光っているので、見たくなくてもいやでも目につく。
夜明けを迎える頃には、左右に四つずつ、水平線の端から端まで等間隔に展開しているのが見えた。
それどころか、御者が手を振るらしい動きに加え、おーいというかすかな呼び声すら今や聞こえてくる。
「耳を塞げ!
絶対に無視しろよ、
じゃないと命の保証はできん!」
彼は蒼白な顔で必死に犬たちを走らせながら、こちらも向かずにつぶやく。
そうやって太陽が中天から傾きはじめた頃、不意に
「おーい、おーい」
「手伝ってくれー、ソリが氷の割れ目に落ちたー」
と遠く、例のソリたちの方からかすかに聞こえてきた。
僕が心配になって彼の肩を叩いても、もうブルブル震えながら頑として首を振るばかりで、犬たちの速度を緩めようともしない。
「聞くな、耳を塞げ、神様、御加護を」
自分に言い聞かせるように彼はつぶやき続ける。
と、ソリたちの動きが止まったらしく、急速に背後の方へと流れる。
僕はあわてて彼を揺すった。
「おい、止めろ!
あれは絶対に本物のソリだ、
見捨てる気か!」
「・・・海だ、あそこは」
彼のつぶやきに、僕は初めてゾッと寒くなり、あわててウォッカを口に押し込んだ。
幸いに、彼の言ったとおり、夕暮れには目的地の町に着けた。
彼はすぐに高熱を発し寝込んでしまって、僕も用事があったので、あのソリたちが結局何なのかは聞き出せないままでいる。