ナナシと仲良くなった切欠は、正直なところ覚えていない。
いつのまにか仲良くなり、あたりまえにそばに居るようになった。
しかし、初めてしゃべったときのことだけは鮮明に覚えている。
あれはまだ、入学したての頃のことだったと思う。
僕は飼育係に半ば無理やりさせられて、その日も確か小屋の掃除をするために皆が帰った後も残っていた。
引っ込み思案で地味な僕はなかなか友達もできず、毎日が憂鬱だった。
そんななかで押し付けられたとはいえ、ウサギや鶏の世話をすることは僕の癒しでもあった。
その日、併設されている小学校の飼育係の子が餌を置いて帰った後、僕は掃除の水汲みのために給水場に行った。
あとでウサギたちと遊ぶことに胸をわくわくさせながら。
しかし、小屋の前まで帰ってきて僕は驚いた。
一匹のウサギが横たわって、動かなくなっていたから。
そしてその傍らに、見覚えのある少年が立っていたから。
「なな・・・・・しま、くん」
ナナシマキョウスケ。
クラスメイトで、いつも男女問わず何人もの人に囲まれて笑っている、人気者。
お調子者で、先生や先輩にも好かれていて、僕とは真逆の立ち位置にいる人間だった。
だから僕は彼が苦手だった。
僕にないもの、僕のほしいものを全部持っていて、うらやましかった。
あこがれていたクラスメイトの女の子とも、気さくにしゃべっていた彼が妬ましかった。
そんな一方的なねたみから、僕は彼と極力関わらないようにしてたのに、まさかこんなところで逢うなんて。
それも、ウサギのなきがらの前で。
・・・・・ウサギの、なきがらの前に、なんでこいつがいるんだろう。
僕は自分でもわかるくらいはっきりと、鋭い目つきで彼を睨んだ。
「藤野か。」
ウサギを前に呆けていたナナシマは、僕に気付いて声をかけてきた。
それが最初の会話だった。
僕は彼がウサギを殺したんだと思った。
いろんなものを持ってるのに、まだ僕から奪うのか。
一生懸命世話をして、唯一の友人の一人だったウサギ。
毛の色からして、一番年寄りだったミミ子に間違いない。
いつも美味しそうに餌を食べて、僕の足元にいたミミ子を。こいつが。
沸沸と怒りと悔しさがこみ上げてくるのがわかった。
そして同時に、彼が僕の名前を知っていたことが何故か嬉しく、そしてそんな自分が余計許せなかった。
ちがう。そうじゃないだろ。
そうぼくは自分をしかった。
こいつが僕の友達を殺したんだ。
なにを嬉しがっているんだ。
ミミ子の命はこいつの手によって缶でも握りつぶすかのように奪われたんだ。
友達だったのに。大切な友達だったのに。
許せないと思った。
この目の前でヘラヘラと笑う男がどうしても許せなかった。
いろんなものを持っているくせに、僕の唯一のものを奪っていったこいつがどうしても。
再び込みあがってきた怒りと、ピクリとも動かない友達への悲しみで、僕の涙腺は粉々に決壊した。
ナナシマがギョッとするのがわかった。
しかしそんなこと気にしていられなかった。
死んでしまったのだ。
ミミ子はもう決して動かない。レタスもニンジンも食べられない。
もう二度と、僕の足元で昼寝をしてくれない。
そんな悲しいことがどうして存在するんだ。
声も発せられないまま、僕は泣いた。
すると、
「そんなにショックだったのか?」
と、声がした。
もちろんその声の主はナナシマ以外の誰でもない。
僕は耳とこいつの神経を疑った。
ショックだとか何とか、おまえが言えるのか?
おまえが言うのか?
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。
次の瞬間、僕はナナシマにつかみかかっていた。
「おい藤」
「どうしておまえがそんなこといえるんだ!!僕はおまえとは違うんだよ!おまえとは違うんだ!!!
友達だったんだ、ミミ子は!!いっつもいっしょにいたのに!!友達だったのに!!」
ナナシマの表情はもう見えなかった。
僕の視界は涙でぐちゃぐちゃに歪んでいた。
「・・・ごめん」
ナナシマが呟いた。
でもどんなに謝られても、ミミ子は帰ってこない。
僕が一人ぼっちなことは変わらない。
「どうして・・・ミミ子を殺したんだ?」
僕は呟いた。それだけはどうしても聞いておきたかった。
ミミ子がなぜ
死ななくてはいけなかったのか、どうしても。
しかしナナシマは、驚いたように言った。
「ちょっと待て。俺は殺してない。」
僕はまた耳をうたがった。
この後に及んで何を言うのか。
しかしナナシマはそんな僕にさらに続けた。
「見てみろよ。そのウサギ、どっこも傷ついてないだろ」
言われるがまま、僕はミミ子の体を見た。
たしかに外傷などはひとつもなかった。
「もういい年だったんだろ?そいつ。俺が来たときにはもう死んでたよ」
ナナシマはそういった。
そう、確かにミミ子はもうだいぶ年寄りのおばあさんウサギだった。
言い換えれば、いつ死んだっておかしくはない。
なのに僕は、ただそこに居合わせたクラスメイトを、疑ってしまったのだ。
普段のねたみもきっと、あったんだろう。
僕は途端に自分の犯した罪に気付いた。
「あ、ご、ご、めん、僕、なんてことを」
「全くだ。動かないウサギがいるから覗いてみれば、ひとを殺人犯呼ばわりか」
ナナシマは怒っていた。
当然だ、僕は最低なことをしたのだから。
自分のコンプレックスや嫉妬、そしてその場の状況だけで無実のクラスメイトを疑うなんて、人間として最も、否、生き物として最も醜いことだ。
普段からドラマなどでそういうことをする人間を見るたびに嫌悪していたのに、結局僕も同じ穴の狢だったのだ。
「でも、大事なトモダチだったんなら、仕方ないよな」
僕は三たび耳を疑った。
「おまえ、暗くて何考えてっかわかんなかったけど。いいやつじゃん。
おまえのトモダチになれるやつは幸せだな。」
ナナシマはそう言った。
怒るでもなく、ウサギがトモダチだなんていう僕に引くわけでもなく、僕という存在を肯定してくれた。
「なあ、墓作ってやろう。俺も手伝うから。」
ナナシマは普段そうするようにヘラヘラと笑った。
ぼくはまた、涙が出てきそうになったが必死にがまんした。
言葉を発すると泣き出しそうで、ありあとうもごめんなさいもいえないまま、僕はナナシマと一緒にミミ子を裏庭の花壇に埋めた。
「ここなら年中花が咲いてるから、寂しくないだろ?」
ナナシマのその言葉に僕はまた胸が熱くなった。
普段の、お調子者でヘラヘラした様子はなく、心から生き物の死を悼んでくれていた。
埋め終わると、ナナシマは帰っていった。
じゃあな、と手を振ってくれたことは今も忘れない。
誰かに手を振ってもらうのなんか、中学生になって、初めてだった。
ミミ子の死はとてつもなく悲しかったけれど、知らなかったクラスメイトのやさしさが、すごく嬉しかった。
それから、僕らがあだ名で呼び合い、周りからも認められるような友人になるまで、そう長くはかかっていなかったように思う。
もうそういう細かいところは、歳をとった今はほとんど覚えていない。
ただ、あの日僕の親友の死が、僕に親友を与えてくれたことは間違いない。
彼女は今も、花の咲く花壇で眠っている。