師匠シリーズ 第48話 ともだち

師匠シリーズ 第48話 ともだち

大学2回の冬。
昼下がりに自転車をこいで幼稚園の前を通りがかった時、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
白のペンキで塗られた背の低い壁のそばに立って、向こう側をじっと見ている。
住んでいるアパートの近くだったので、まさかとは思ったが、やはり俺のオカルト道の師匠だった。
子どもたちが園庭で遊んでいる様子を一心に見つめている20代半ばの男の姿を、いったいどう表現すればいいのか。
こちらに気づいてないようなので、曲がり角のあたりで自転車を止めたまま様子を伺っていると、やがて先生に見つかったようで「違うんです」と聞こえもしない距離で言い訳をしながらこっちに逃げてきた。
目があった瞬間、実に見事なバツの悪い顔をして「違うんだ」と言い、そしてもう一度「違うんだ」と言いながら曲がり角の塀の向こうに身を隠した。俺もつられてそちらに引っ込む。
「あの子を見てただけなんだ」
遠くの園庭を指差しているが、ここからではうまく見えない。
「あの青いタイヤの所で地面に絵を描いてる女の子」
首を伸ばしても、角度的に木やら壁やらが邪魔でさっぱりわからない。
なにより、なにも違わない。
「いつから見てたんですか」との問いに「ん、1ヶ月くらい前から」とあっさり答え、ますます俺の腰を引かせてくれた。
「そんなにかわいいんですか」
言葉を選んで聞いたつもりだったが、「かわいいかと問われればイエスだが、《そんなに》って頭につけられるとすごく引っ掛かる」と、不快そうな顔をする。

「1ヶ月前、最初に足を止めたのはあの子じゃなく、あの子のそばにいた奇妙な物体のためだよ」
物体という表現が、なんだか気持ち悪い。
「それは見るからにこの世のものではないんだけど、あの子はそれを認識していながら怯えている様子はなかった。
他の子や先生には見えてすらいないようだった。」
その子は、いつもひとりで遊んでいたという。
砂場あそびの仲間に誘われることもなく、かといって他の園児からからかわれることもなく、ただひたすらひとりで絵を描いている。
親が迎えに来る時刻になるまで、ずっとそうしているのだという。
「他の子が帰っても、なかなかあの子の親は来ないんだ。
日が暮れそうになってからようやく若い母親がやって来るんだけど、なんていうかまともな親じゃないね。
あの子の顔を見ないし、手の引き方なんて地面に生えた雑草を引っこ抜くみたいな感じ。
虐待? まあ、服から見えてる部分には痕がないけど、どうだろうね」
気分の悪くなる話だ。
だが、この異常なオカルト好きがこんなに執着するからには只事ではないのだろう。
「イマジナリーコンパニオンって、知ってるかい」
聞いたことは、あった。
「まあ、簡単にいうと幼児期の特徴的な幻覚だね。
頭の中で、想像上の友だちをつくりあげてしまう現象だ。
ただ子どもには幻を幻と認識する力がなくて、普通の友だちに接するようにそれに接してしまい、周囲の大人を困惑させることがある。
人間関係を構築するための、ある程度の社会性を身につけると自然に消えていくものだけどね」

それならば俺にも経験がある。
と言っても覚えているわけではないが、両親いわく「お前は仮面ライダーと喋ってた」のだそうだ。
まだしもかわいい方だ。
『ゆうちゃん』とかありそうな名前をつけて、誰もいないのに「ゆうちゃんもう帰るって」なんて言われた日には親は気味が悪いだろう。
もう一度身を乗り出して幼稚園の庭を覗いてみる。
帽子の色で、年齢をわけているようだ。
青いタイヤのあたりには、赤い帽子が見える。赤の帽子は年長組らしい。
目を凝らすと、おさげらしき髪型だけが確認できた。
師匠の言う、奇妙な物体は見えない。
しかしこの異常に霊感の強い男に見えるということは、ただの想像上のともだちではないということなのか。
「いや、霊魂なんかじゃないと思う。
気味の悪い現われ方をしてるけど、あの子なりのイマジナリーコンパニオンなんだろう。
僕にも見えてしまったのは、何故なのかよくわからない。
ひょっとしたら彼女の感覚器がとらえているものを、混線したようにリアルタイムで僕のアンテナが拾ってしまっているのか……」
あの子は強烈な霊媒体質に育つかもね。
そう言って師匠は慈しむような目で幼稚園児を見つめるのだった。
攣りそうなくらい首を伸ばしても、その女の子の輪郭以外には何も周囲に見あたらない。
追いかけっこをしている一団がタイヤの前を駆け抜けて、その子の描いている絵のあたりを踏んづけていった。

ここからでは表情は分からないが、淡々と絵を直しているようだった。
「で、その空想のともだちってどんなのです? 今もあの子の近くにいるんですか」
師匠は、「う~ん」と唸ってから「なんといったらいいのか」と切り出した。
「2頭身くらいのバケモノだね。顔は大人の女。母親じゃない。
実在の人物なのかもわからない。けどたぶんあの子になんらかの執着心を持っている。
体は紙粘土みたいなのっぺりした灰色。小さな手足はあるけど、あんまり動きがない。
ニコニコ笑ってる。あの子の絵の上でゆらゆら揺れている。今、僕らの方を見ている」
一瞬にして、鳥肌が立った。
誰かの視線をたしかに感じたからだ。
「普通、他の子どもが大勢いる場所ではイマジナリーコンパニオンは現れない。
本人にとって孤独さを感じる場面で出現するケースが多い。
だけどあの子の場合は、幼稚園という空間さえ極めて個人的なものになってしまっているらしい。
今はあの物体に完全に捕らわれているように見える」
一度、迎えに来た母親の後をつけようとしたけど少し離れたところに高そうな車をとめてあって無理だった、と師匠は言った。
その時、白い壁の向こう側でエプロン姿の若い先生と、園長先生らしき年配の女性がこちらを指差して何事か話しているのが目に入った。
焦った俺はとりあえず自転車に飛び乗って逃げた。
あとから師匠が手を振りながら走ってついて来ているのに気づいていたが、無視した。

部屋の外にいても、テレビがついているのがわかる。
音なのかなんなのかよくわからないが、とにかくわかる。
周囲の人に聞いても「あ、わかるわかる」と同意してくれるのでたぶん俺だけではないはずだ。
だからそのときも、ただわかったからわかったとしか言いようがないのだった。
幼稚園から逃げ出したその日の夜である。
そのころ完全に電気を消して寝るくせがついていたので、ふいに目を覚ましたときも暗闇の中だった。
自分の部屋の見慣れた天井が、うっすらと見える。
ベッドの上、仰向けのまま半ば夢心地でぼーっとしていると、テレビがついているのに気がついたのである。
部屋の中のテレビではない。薄いドアを隔てた、向こうの台所でどうやらテレビがついているようだ。
そちらに目を向けるが、ドアについている小さな小窓の輪郭がかすかにわかる程度で、その小窓の向こうには光さえ見えない。
音でもない、光でもない。
けれどテレビがついているのがわかるのである。
もちろん台所にテレビなどない。
俺は半覚醒状態のまま、ただただ不思議な気持ちでベッドからのそりと起き上がり、ふらふらと手探りでドアに向かった。
電気をつけるという発想はなかった。つけたら眩しいだろうなと寝ぼけた頭で考えたのだと思う。
ゆっくりとドアのノブに手をかけ、向こう側へ押し開ける。
薄暗闇のなか、空中に女の顔が浮かんでいるのが見えた。
いや、顔だけではなかった。冗談のような小さな胴体と手足が粘土細工のようにくっついている。

それがふわふわと台所のある空間に漂っているのだった。
そのとき、怖いと思ったのかは覚えていない。
ただ気がつくと俺は自分のベッドに戻っており、仰向けのいつもの姿勢で朝の目覚めを迎えたのだった。
夜の出来事を反芻して、鳥肌が立つような気持ち悪さに襲われ、”連れて来てしまった”んじゃないかと身震いした。
朝から師匠の部屋に転がり込んで、そのことを話すと「そんなはずない」と言って笑うのだ。
幽霊じゃないんだから。あの女の子の見ている幻を、その子がいない場所でどうして別の誰かが体験できるっていうんだ。夢でも見たんだろう。
師匠はそんな言葉を並べ立て、俺もだんだんとそんな気になりかけていた。
思いつきで、その女の顔が、ある芸能人に似ていたことを口にするまでは。
それを聞いたとたんに師匠の顔つきが変わり、その名前をもう一度俺に確認した。
どうやら師匠の見ていた顔と同じ印象を俺が持ったことに、納得がいかないらしい。
「そうか、わかった」
師匠はニヤリと笑うと、説明した。
あの幼稚園の女の子も、その芸能人の面影にわずかに似ているらしい。
ということはつまり、自分自身のイマジナリーコンパニオンに似ているということだ。
女の子は想像上のともだちとして自己を投影した理想的大人を仕立て上げ、自分を愛さない母親の代わりにいつもそばにいてくれる存在としたのだ。
母親のようにはならない、という反発心から母親とは違う大人に成長した自分をイメージして。
そして”ともだち”として相応しい等身にして……そんな仮説をスラスラと口にする師匠に、俺は言った。

「俺、その子の顔なんて見てないですよ。あんな距離じゃ、全然。目が悪いの 知ってるでしょ」
俺が女の子の顔から、その芸能人を連想したということを言いたかったらしい師匠は沈黙した。
それからしばらくして、ゆっくりと顔を上げ、真剣な目をして言うのだ。
「あれが、イマジナリーコンパニオンなんかじゃなく、霊的なものだとするなら、おまえの部屋に出たってことがどういうことかわかってるのか」
その言葉を聞いた瞬間、悪寒が全身を駆け抜けた。
あからさまに怯え始めた俺を見て、師匠は膝を叩いて言う。
「よし、なんだかわかんないものはとりあえずブッ殺そう」
やたら頼もしい言葉に頷きそうになるが、穏便にお願いしますというジェスチャーで返す。
「冗談だ」
笑っているが、どこまで本当かわからない。
まあ放っとこう。どうせとり憑かれてるのは、あの子だ。
なんならここに2、3日泊まってけばいい。たいていのヤツなら逃げてくよ。
そんなハッタリめいたことを言う。まるでこの安アパートが霊場のような言い草だ。
けれど少し、気が楽になった。
結局その2頭身の女のバケモノは、2度と俺の前に現れなかった。
師匠も、その正体を結論付ける前に警察を呼ばれてしまい、2度とその幼稚園には近づけなかったらしい。
警察は霊なんかよりずっと怖い、と後に彼は語っている。

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