九州のとある地方に残る民話。
昔々、ある所に山に囲まれた小さな村があった。
村人たちは長らく平和に暮らしてきたが、いつの頃からか村に通じる山道に、牛の大きさほどもある蚊がたくさん湧くようになった。
蚊どもは動物も人も見境なく襲い、血を吸い尽くして殺したため、村は外との行き来ができなくなってたいそう苦しんでいた。
村人たちの生活も日に日に苦しくなり、昔から村を守ってきた地蔵様へのお供えもとどこおるようになった。
そのような中で、信心深い老夫婦だけが乏しい衣食から欠かさず地蔵様へお供えをしていた。
ある夜、一人の僧が山道を越えて村へやってきた。
久方ぶりの旅人であったが、村人たちは危険な山道を怪我ひとつなく抜けてきた僧をいぶかしみ、また苦しい暮らしの中何も持たない僧侶をもてなすのも気が進まぬというわけで、誰も僧に宿を貸そうとしない。
信心深い老夫婦だけが僧を歓迎し宿を貸すと申し出たので、みなこれ幸いと押し付けるように僧を老夫婦の家へ預けることにした。
老夫婦は僧に貧しいながらも心づくしのもてなしをした。
次の朝、村を発つとき、僧は
「もし昨晩宿がいただけなければ、この村は通り過ぎて行くつもりでしたが、おかげで一晩ゆっくり休めました。
お前さまがたの信心に免じてひとつ功徳を授けましょう。
しかし今後もゆめゆめ信心を怠ることなきように。」
と老夫婦に言い残し煙のように去っていった。
しばらくして、化け物蚊は姿を消した。
村は再び活気を取り戻した。
ただ、あの地蔵がいつの間にやら祠から消えていた。
人々はだれも気に留めなかったが、老夫婦だけはそのことに胸を痛め、消えた地蔵を探して回った。
あるとき、老夫婦は山道の藪の中で、化け物蚊が大量に死んでいるのを見つけた。
恐る恐る蚊の死骸を見てみると、どれも血を吸う針が折れている。
そして折り重なる蚊の死骸の中に、消えた地蔵が転がっていた。
村人たちは、
「あの僧は地蔵の化身だったのだ。
蚊どもは人の姿をして現れた地蔵の血を吸おうとして針を折って死んだに違いない。」
と噂しあった。
みな地蔵に感謝し、再び祠に戻すと、以前のように毎日お供えを欠かさぬようになった。