この話は、もう洒落怖が出切ってしまっている昨今ではありふれた話で、全く怖くはないと思う。
しかし、もうそろそろ終戦記念日だし、憲法改正とかでも日本が揺れているので、心霊の方面から戦争の証言を遺して置きたい。
家の死んだ祖母は、今で言う大変な”構ってちゃん”で、生前母は相当手を焼いていた。
今時の同人種も良く陥りやすい罠であるが、家の婆さんは、大した霊感も無いのに所謂センシティブ・アマチュア霊能者を気取っている所があった。
あれは、未だ昭和だった。
幼い自分を連れて母と婆さんは、沖縄のツアーに参加した。
母によると、海沿いを観光している最中に大きな大砲の音が鳴ったそうであるが、ツアーの中の半分の人数がそれを聞き、後の半分は聞こえていなかったそうである。
自分は小さかったので全く憶えがない。
そして、ツアー一行は、日本軍が壮絶な玉砕を遂げた”ガマ”とかいう名の付いた洞穴群を見て廻った。
母は、そんなもの見るのも恐ろしくて中に入らなかったが、霊能者気取りの婆さんは、得意になって其処に突入して行った。
「可哀想にね~」を連発しているのを見ていて何かわざとクサさを感じていたのをぼんやりと憶えている。
さて、ツアーは無事に終わり、私達3人は東京に戻った。
この時の記憶は、幼かったのでボンヤリしているのだが、兎に角、周りの大人の大騒ぎは思い出す。
写真を見て、皆一様に「あら?!?」という感嘆符を漏らしていた。
母によると、「魂魄の塔」で撮った集合写真上、丁度家の婆さんの肩の横の辺に零感の素人でも肉眼で認識出来る程くっきりとした必勝鉢巻を着けた大きな男性の顔が、浮かび上がっていたそうである。
自分もこの写真を見た筈なのだが、どうしてもどんな顔だったか詳細が思い出せない。
今、考えるとそれは有り難い事であって、もし、まともに対面していたら、それが自分の幼い精神に与えたであろうダメージは計り知れない。
大人達は、初めて見るマジな心霊写真に驚愕していた。
さて、家の婆さんはこの思ってもみなかった”お土産”を得意になって見せびらかし、女性週刊誌なんかに送ろうとなんかしてたみたい。
しかし、そう上手くは行かなかった。
何故なら、写真の男性が夢に現れ始めたから。
その夢は、何時もボロボロの建物の階段を上っている所から始まった。
階段を三階まで上ると、あの男性が立っている。
男性は、「水をくれ!」と叫ぶと、婆さんの首を絞めた。
婆さんは、余りの苦しさに寝ているどころではなくて、飛び起きてしまう。
全く同じ夢を三晩立て続けに見た。
実際、母も余りの苦しさで畳についた婆さんの爪跡を見たという。
三日目には、婆さんも音を上げて家の檀家の寺に泣き付いた。
寺の奥さんは、玄関でその写真を見るなり、「沢山の方が、いらっしゃいます」と、言ったという。
件の男性の霊は、一番強い出方をしていたが、そのスジの人が見ると写真は、無念の死を遂げた何十体もの霊で埋め尽くされていて、婆さんに乗っかって生前叶わなかった本土帰還を遂げたという。
住職が経を上げ、写真をお焚き上げすると、「皆さん、泣いて歓んでおられます」と、呟いたそうである。
今後一切、死にきれずに水も飲めない様な亡霊を生み出す戦争を日本が引き起こさない様にと切に願う。