これは、私の母が体験した話です。
10年以上前のことです。
母の実家が巣鴨にあるのですが、夏休みには、よく私と母で遊びに行っていました。
母には5歳年の離れた妹がいて、当時まだ結婚していなかったので実家に住んでいました。
母と妹はコーヒーが大好きで、何かというと巣鴨商店街の喫茶店へと出かけてはお喋りに興じ、数時間も帰らないこともしばしばでした。
あの時も、いつものように、夕食後、二人してコーヒーを飲みに行くと言って出かけていったのです。
その日はたまたま近くの喫茶店が休みだったため、二人は巣鴨のお地蔵さん(有名な棘抜き地蔵)の先まで出かけて行きました。
そして、いつものように長々とお喋りを楽しんでいたところ、気がつくと深夜の12時を回ってしまいました。
流石に喫茶店も店じまいで二人は追い出されるように、店を出たのですが、コーヒーを飲んだせいでしょう、母は突然尿意を催したのです。
とはいえ、この時間帯ではお店は開いていません。
しかたがないので、母は、しぶしぶお地蔵さんの裏にある公衆トイレへと向かいました。
そこは、あまり綺麗なトイレではありませんし、変質者等も出そうな不気味な感じがありました。
ですので、母は自分がトイレに入っている間、妹にトイレの前で見張りつつ待っているようにお願いしたのです。
そして、母はトイレに入りました。
入り口から3つめの一番奥のボックスに何気なく入ります。
そこまでの2つのボックスは空で、このトイレには3つしかボックスはありませんでした。
母が用を足した丁度そのころ…
コン、コン
とボックスのドアをノックする音がしました。
母は妹が来たのかと思い、「○○?」と声をかけましたが返事はありません。
代わりにもう一度、
コン、コン
とボックスが叩かれました。
母はとっさに「おかしい」と思い、黙ったまま扉の方に意識を集中させました。
確かに、誰かいる…。
そう、母は感じたそうです。
そのまま暫く時間が経過しました。
今、開けてはいけない。
そう思いながら待つ数分はとても長く感じたそうです。
そして、不意に気配が消えました。
母はゆっくりとドアを開けると、何もいないことを確認してそのまま外で待っている妹の元へ行きました。
そして、妹に中であったことを話したのです。
当然、妹はノックなどしていません。
それどころか、ずっと入り口に立っていて見張りをしていたのです。
誰かが入って来たということもあり得ないと言うのです。
妹の悪戯かとも思いました。
でも、よく考えるとおかしいことがあります。
ノックが聞こえた前後、足音がしなかったのです。
もし、妹の悪戯なら、妹の足音がしたはずでしょう。
仮に、来るときの足音を聞き逃していたとしても、意識を集中させていた、帰るときの足音を聞き逃すはずはありません。
その日、帰ってくるなり母と妹はこの話を私と祖母にしました。
明確に幽霊を見たというわけでもないこの話は、しかしとても薄気味悪く感じたことを覚えています。
あれ以来、10年以上の月日が経ちますが、母は二度とあのトイレに入っていません。
それは、妹も同じです。
あの日、あのトイレでドアをノックしたのは誰なんでしょうか?
人が死んだとか、何か事件があったという噂すらないタダのトイレは、今でもお地蔵さんの裏にひっそりと立っています。
しかし、私は決して近づこうとは思いません。
今でも、この話の薄気味悪さが鮮明に感じられるからです。
きっと、一生近づく事はないと思います。
以上で私の話を終わります。