10年も前になると思うが、ある登山家が遭難死した。
一般的にはともかく、登山の世界ではそれなりに知られた男で、ヒマラヤの、ある高峰を世界で初めて登頂したパーティーに参加していた。
彼自身も山頂に立っていたと思う。
俺自身、面識はない。
顔見知りでも、知り合いでもない。
彼は、俺の友人が属していた高校山岳部の顧問をしており、友人の自慢の種だった。
友人は、彼のことを「御大」と呼んでいた。
ヒマラヤの厳しさ、美しさ、神々しさ。
ヨーロッパの山々の、独特の色。
日本の山にはない、あれこれ。
同時に、日本の山々の、美しさ。
御大が語る山は、それがどんなにつまらない山であっても魅力に溢れていた。
高校入学後に山を始めた彼にとって、御大は神だった。
その御大が、海外での登山中に死んだ。
御大の名前と顔写真が、テレビニュースの電波に乗った。
俺は数年ぶりに友人に電話した。
御大を慕い、御大と山に行ける喜びを語ってくれた友人。
その友人は、無関心だった。
冷淡でさえあった。
御大の死を知らないのかと思ったが、かつての山岳部の仲間から連絡があり、テレビニュースも見ていた。
彼の言葉に、御大との日々を懐かしむ響きさえない。
それどころか
「俺、あの人の事を良く知らないんだ」
卒業後、顔を合わせた事もないらしい。
友人は「御大」という言葉さえ使わない。
「ただの顧問だからなあ」
「ま、ご冥福をって、それは思うけど」
通夜にも、葬儀にも友人は行かないと言った。
「虚礼廃止っていうだろ」
そう言って、電話の向こうで彼は笑った。
悲しかったが、間違いなく、古い友人だった。
数ヵ月後、その友人と電話で話していた。
俺が御大の死を知ってかけた電話を、彼は知らなかった。
俺と電話で話す事など、あり得ないと言い切られた。
その時期、仕事が忙しく、連日深夜まで働いていて、俺が電話をかけたような、世間並みの時間に帰宅していた事など無かったという。
その中、友人は御大の葬儀に出席し、部のOB会主催の追悼山行にも参加していた。
「人生を教わった恩人だからね」
あの時の冷淡な電話の相手は、確かにその友人だったんだが。