うーむ、さっき吉村昭の「海の柩」を読んだのだが怖かった・・・。
後書きから考えて、実際にあった話だと思う。
太平洋戦争末期、北海道の漁村に、ある日たくさんの日本兵の水死体が流れ着いた。
数は500体近く。
どうやら兵士を満載した輸送船がアメリカの潜水艦に攻撃され、沖合いで沈没したらしい。
死体の中に将校のものは無かった。
将校たちは救命艇で脱出できたらしい。
死体を収容していた漁師たちは、奇妙なことに気づいた。
腕のない死体がかなり混じっているのだ。
手首の欠けているものもあれば、上膊部から失われているものもある。
海水に洗われて血はにじみ出ていなかったが、鋭利なもので断ち切られたように断面は平らだった。
中には片腕がない上に、顔面に深々と裂傷の刻まれているものもある。
船から海中に飛びこんだ折に出来た傷かとも思えたが、死体の半ば以上が腕を切り落とされていることは異様だった。
・・・・・さてクイズです。
なぜ死体には腕が無かったのでしょう?
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(筆者が生き残りのKから話を聞くシーン)
「切りましたか?」
私はたずねた。
「なにをですか?」
かれは、いぶかしそうに私を見つめた。
「兵士の腕です」
男は、一瞬放心したような眼をした。
徐ろに視線を落としたが、あげた顔には妙な笑いが薄くただよっていた。
「私は、切りませんよ。暗号書を抱いて舟艇の真中に座っていたのですから・・・。」
かれの微笑は深まった。
「切った将校もいたのですね」
と、私。
「いました」
と、彼。
「船につかまってくるからですか」
と、私。
「船べりに手が重なってきました。三角波にくわえて周囲から手で押されるので、舟艇は激しくゆれました。
乗ってくれば沈むということよりも、船べりをおおった手が、恐ろしくてなりませんでした。
海面は兵の体でうずまり、その中に三隻の舟艇がはさまってました。
他の舟艇で、将校が一斉に軍刀をぬき、私の乗っていた船でも、軍刀がぬかれました。
手に対する恐怖感が、軍刀をふるわせたのです。
切っても切っても、また新たな手がつかまってきました」
「あなたは、なにもなさらなかったのですか?」
「靴で蹴っただけです」
男は、かすかに眉をしかめた。
「腕を切られた兵士は、沈んでいきましたか」
「そうです。しかし、そのまま泳いでいる者もいました。」
「兵士たちは、なにか言いましたか?」
私は、たずねた。
男は、口をつぐんだ。
微笑がこわばった。
フィルターつきの煙草を手にしたが、火はつけなかった。
男が、口を開いた。
「天皇陛下万歳、と叫んでいました」
私は、ノートをとる手をとめて、男の顔を見つめたが、窓の外に視線をそらせた。
後書きによると、その後この事件についてNHK・ドキュメンタリーが企画され、吉村氏はプロデューサーからK氏の住所と名前を教えて欲しいと何度も懇願されたが、口をつぐみ続けたらしい。
取材のため老漁師に話を聞いたときも、終戦から25年もたっているのに、憲兵に口止めされているからといってなかなかしゃべってくれなかったそうだ・・・
吉村昭では、他に「総員起シ」もおすすめ。
戦争中、瀬戸内海で訓練中の潜水艦が沈没、102人が死んだ。
9年後に潜水艦を引き上げたのだが、艦内には水の進入を免れた区画があり、当時のままの姿で保存されていたのだ・・・。