ヘド吐き野郎の部屋

ヘド吐き野郎の部屋 俺怖 [洒落怖・怖い話 まとめ]

霊感みたいなものはまったくないんですが、一度だけそれっぽい体験をしたことがあります。
オカルティックなことだったのかどうか判断はできないんですが、ずっと気がかりだったので、ここに書いてみますね。
実話なんでオチとかないです。
ただ奇妙なだけで。

大学時代ですから、およそ十年ばかり前、冬だったと思います。
当時ぼくが所属していたサークルは、毎金曜夜に飲み会をやっていて、飲むのが好きなぼくは、金曜となれば終電で帰宅していました。
駅近辺は自転車を置くスペースがないので、終バスの行ってしまった終電帰りのときは、ほろ酔いで気持ちいいこともあって、いつも徒歩で2、30分かけて帰っていました。

そんな金曜の夜更け。
駅前のメインストリートを左に折れ、家の方角へ丘をのぼってゆく道を、いつものように酔い心地で歩いていました。
いちおうバス通りなのですが、もう時刻も一時を過ぎていますから、人通りは少なかったのです。
両脇は住宅、らーめん屋が一軒あるきり、大きくない街灯が間隔をあけて立っているだけです。
道の左側を歩いていたぼくは、どこかから、

「ヴォオオ。ヴァアア」

といった濁った音がしているのに気づきました。

とはいっても、別段、恐怖は感じませんでした。
酔っぱらいには馴染みのあるその声、吐き気がするのになかなか吐けないときの、あの唸りみたいな「吐き声」だったからです。
時間も時間ですし、ぼく同様に、酔っぱらいがそこらにいても不思議ではありません。

ただ、その音のでどころがちょっと奇妙でした。
上のほうから聞こえてくるのです。
ぼくの少し上方、やや前方――そんな印象で。
というわけで目を上げると、ぼくが歩いている道の左側に、二棟並んで横長に建っている(正確にはその後ろに平行して二棟あるので全4棟)Mという旧財閥系企業の年代物の社宅、そこの二階の部屋の窓から、男が胸から上を宙に突き出し、
肘を張るように両手を窓枠に突き、顔を下に向けて、どうやらゲエゲエやっている様子。
ディテールは影になっていて見えませんでしたが、中年の男のような感じです。
幸い、男が吐いて(?)いる直下までは、まだ50メートルばかりあったので、ぼくは、

「うへえ、洒落になんねえよ」

と怖気をふるって、道の反対側に渡ると、男と目が会ったりしないよう――それでもこそこそ怖いもの見たさでようすを見ながら――早足で自宅へ帰りました。

さて、毎週だったか記憶があいまいですが、同様に金曜の深夜、ぼくが酔っ払って同じところを歩くと、その男がげえげえやっているということが3度ほどつづいたように思います。
いつも男は同じ姿勢で、同じように吐いて(あるいは吐こうとして)いました。
顔やらなにやらのディテールは不明なままです。
(思い返せば、いつも道にはぼくひとりしかいませんでした。
近くのらーめん屋は深夜まで開けていて、同じような深夜にそこでラーメンを食べたこともあるし、近くにある日体大の学生がうろついてたりもするのに)

その3度目だったか、なんとなく好奇心をくすぐられて、ぼくは

「あのヘド吐き野郎の部屋を憶えておこう」

と思ったのでした。
それで何をどうするつもりもなかったのですが、ちらちらそっちを眺めて、男の部屋が、道路に沿って建つ二棟のうちの左側(つまり丘のふもと側)で、二階、およそ左右中央――
その社宅は昔風の団地のように、横長の建物の正面に階段が等間隔で3本(か4本)設けてあり、男の部屋は中央の階段の左にありました。
それを記憶して、いつものように帰宅しました。

よく記憶していないんですが、部屋を記憶した夜が最後だったか、あるいはもう一回くらい見たか――いずれにしろ、いつの間にかヘド親父を見なくなりました。
それから半月ほどの土曜日、

「そういえばあのオヤジの部屋を特定したんだった」

と思い出したぼくは、本屋に行くついでにあの部屋を昼間、外から眺めてみようか、と、歩いて家を出たのでした。
家から丘を下ってゆくと、ゆるいカーブを越えて、あの社宅が見えてきました。

最初の棟を通り過ぎ、問題の棟に……
……二階……真ん中の階段の……左横。

え? 嘘。

と、ぼくは足を停めてしまいました。
問題の部屋には、ほかの部屋と同様、ちいさな正方形の窓がひとつ
(台所かトイレ?)と、居間か寝室だかの大きめのサッシ窓があります。
正方形のほうは床に貼るリノリウムのようなもので目隠ししてあります。
サッシ窓のほうは、カーテンなどもなく、内側につくりつけの木の手すりみたいなものが見えます。
その窓が異様だったのです。

どちらにもガラスがはまっていなかったんですから。

それも、最近なくなったというんじゃなくて、目隠しのシートは黒くすすけているし、木の手すりも雨や陽のせいで、白っぽく灼けたみたいになっていました。

じゃ、おれは見たのは何よ?
幽霊? でなきゃ既知外??
どっちにしろやべえ――と思って、逃げました。

以下は後日の話。

以降何度か、その階段をあがって、表札でも見てやろうか、と思いました。
けれど、びびってしまうんですよね。
結局、あの窓にはガラスははめられぬまま。
社宅だっていうのにヘンでしょう。
ぼくが就職をキッカケに実家を離れるまで、少なくとも2年前後、あの窓は放置されていたことになります。

探検をすることもなく、社宅は2、3年ほど前につぶされ、いまでは和食系ファミレスになっています。

あとで、あの社宅で一家心中だったかガス自殺だったかがあったとも聞きました。
確認はできていませんが。

いまだに、黒く口を開けた、ガラスのない窓の映像を思い出すと、あのどうしようもなく陰鬱で荒んだ空気が伝わってくるようで背筋が寒くなるんです。
あれが人間だとしたって、あんな部屋に住むような荒廃した精神って……。

もしあの社宅のあの部屋について知っているひとがいると疑問は氷解するんですが、判ったら判ったでイヤなような気も。
田園都市線の急行停車駅からちょっと歩いたところにあるいまはなき問題の社宅は、ついこないだまで「M住宅前」という名前だったバス停の真横です。

こわくなかったらごめんなさい。

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