父方の叔母から聞いた話です。
父の実家(田舎です)は代々裕福な家だったものの、大正ごろにすっかり勢いが失せてしまったそうで。
けれども、古い大きな日本家屋だけは栄えていた当時の面影を残していました。
幼い頃の叔母は、そんな大きな家が大好きで、中でも「大広間」を気に入っていたそうです。
「大広間」は何十畳もある広い和室で、冠婚葬祭のときには沢山の人がずらりと並び、それはそれは壮観だったとのこと。
そんな部屋を独り占めにして、昼寝をするのが叔母は好きだったそうです。
ある日のこと、いつものように昼寝をしようと叔母が「大広間」の襖を開けようとすると、襖の向こうに人の気配を感じたそうです。
誰も居ない筈なのにと不気味に思い、襖を少し開け、叔母はこっそり中を窺うことにしました。
中は薄暗く、よく様子をつかむことが出来ないものの、最も上座のところに見知らぬお婆さんが一人チョコンと座っており、そのお婆さんの前に、とても大きな柱時計が棺のように寝かされている様が叔母に見えました。
あまりの奇妙さに叔母がポカンとしていると、ふいにお婆さんがこちらを向き叔母と目を合わせ、なんともいえない笑みを浮かべたそうです。
何故だか物凄い悪寒に襲われた叔母は、数秒硬直した後に我に返り、息もつかずに「大広間」を走って離れ、曾祖母に泣きついたそうです。
叔母が曾祖母に自分が見たもののことを話すと、曾祖母は険しい顔をして、曽祖父と何か深刻そうに相談を始めました。
相談が終わると曾祖母は叔母に、
「これから四日間、外に出たり『大広間』に近づいてはいけない。
それから、大声を上げたり、バタバタと足音を立ててはいけない」
と言いつけたそうです。
四日間、曾祖母の言いつけを守り叔母は静かに過ごしました。
曾祖母には「もう『大広間』に入っても良いよ」と言われたものの、あのときのことが忘れられず、独りではもう「大広間」には入りませんでした。
それから、叔母(ついでに父)の育ったその家は、老朽化の為に二十数年前に改装されました。
「大広間」はその際に、半分程に縮小され内装もすっかり変えられてしまったそうです。
私は幼い頃にその家に何度か遊びに行きましたが、そのときには既に改装されていたので、昔の「大広間」は目にしたことがありません。
少し前に叔母と話をしたときにこの話を聞き、「曾祖母の叔母への言いつけ」の意味について伺ったところ、叔母もそのことはさっぱりわからないとのこと。
曾祖母から家の言い伝えや習しを聞いたことは一度も無く、不思議な言いつけをされたのはそのとき限りだったそうです。
長文失礼しました。