「仲ようせんとあかんかった」
これが、祖母の臨終の時の言葉でした。
今から20年も前の話になります。
当時の私の家は父・母・兄と私の四人で住んでいました。
裕福ではありませんでしたが、家族仲の良い、どこにでもあるような平凡な家庭だったと記憶しています。
ただ一つ違ったものといえば、少し古いけど私達家族4人がいっしょに寝れるほど大きなベッドがあったことぐらいでしょうか。
私と父と母の3人でベッドに寝て、小学校高学年だった兄は一人布団で寝るようになっていたのですが、その日の夜は雨が酷く地震もあった為か、兄もベッドに入ってきてしばらくぶりに家族全員で寝ることにりました。
心地よくまどろんでいた私は奇妙な音で目を覚ましました。
ぅうー、、、ずるずる、、、
ぅうー、、、ずるずる、、、
雨の音とは違う、何かを引き摺ってるような音が家の外から聞こえます。
怖がりだった私はどうにか震えを抑えながら、隣りに寝ていた母を起こそうとしましたが目を覚ましません。
泣きそうになる私の声に反応したのは、母を挟んで向こう側に寝ていた兄でした。
ぅうー、、、ずるずる、、、
あの奇妙な音はまだ聞こえます。
兄もその音に気付いたのでしょう。
音が聞こえる方角が気になるらしく、視線を私と窓の方を交互に泳がせていました。
一旦気にしてしまうと、どうしてもそこを見てしまいたくなりますよね。
何も無い・・・ということを確認したくて。
結果、見てしまいました。
窓には何も見えなかったのですが、安心して視線を下げた所に奇妙に膨らんだ塊がゆらゆらしていました。
紫がかったそれの上方には、墨でも塗ったように黒く、歪んだように目・鼻・口の部分がついていました。
ぅうー、、、ずるずる、、、
それが、こちらに向かってゆっくりと這いずりながら移動してきていたのです。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
もう音は聞こえませんでした。
私達兄妹の、恐さのあまり叫び続ける自分達の金切り声しか耳に入らなくなって。
どこか遠くから聞こえるような自分達の声はやがて、兄の叫び声だけを耳に残して意識共々赤黒い光に落ちていきました。
意識が戻ると祖母と親戚数人、そして知らない知らないおじさんが私達のことを覗き込んでいました。
「よかったな君は」
「助かったな」
何時の間にかベッドには米や榊、酒の入った升が措かれていて、何でベッドにこんなものがあるんだろうとただ、ただ不思議に思っていると、横で寝かされていた兄も意識が戻ったようでした。
「すまんの、すまんの」
私の時は特に何も反応を示さなかった祖母が、兄の時だけ心配そうに手を握り言っていたのが印象的でした。
2人で両親に、夜中に見たもののことを話しましたが一笑に付されました。
兄妹2人、高熱にうなされていたらしく「幻覚でも見たのだろう」と。
意識を失ってから3日が経っていました。
その後、お互いふと思い出したようにその時の話をしていたのですが、数年を待たずして兄はその時のことを完全に忘れてしまいました。
忘れる数週間前にも話題にした時ははっきり覚えていたのに、その記憶がぽっかり抜け落ちたようでなにか記憶のボタンを掛け間違ったような、奇妙な気持ち悪さが残りました。
その時以来私達兄妹は不仲になっていきました。
口論になると小突く程度だったのが、顔を殴られるようになったりエスカレートしていきました。
ぅうー、、、
シャワーが熱湯になっていたり包丁を持ち出されたときは、殺されるかと思ったほどです。
今までの友人や親、他人などには変わりありません、私にだけそうなりました。
ぅうー、、、
今思うとあの時祖母が兄に取った態度はなにか変だった。
「大丈夫か」ではなく「すまない」と心配というより謝罪のような言葉をかけていたのもおかしい。
それも兄に向かって言ってはいたが、「兄自身」へかけた言葉ではなく、それ以外の「誰か」に向けて言っていたのではないか。
疎遠になっていたあの時の親戚に会う機会があり、少しだけ聞くことが出来ました。
あの日の雨で緩んだ時に地震が重なり、無縁仏の墓が崩れたのだと、そこに供養されていたのは祖母の兄だか弟だかなんだ、と。
なぜ一族の者がそんなところに埋葬されていたのかは、祖母が他界した今となってはもう誰も知らないそうです。
私は家を離れましたが、今でも夢に思うことがあります。
ぅうー、、、ずるずる、、、
私に対してだけ変わってしまった兄が、私に対し向かってくる時
ぅうー、、、ずるずる、、、
ぅうー、、、ずるずる、、、
と微かに聞こえていた、あの忌まわしい音を。