一昨年婆ちゃんが死んだ。
高齢だったし、震災の心労もあったのかあっけなく逝ってしまった。
それでも残された爺ちゃんは元気だった。
90歳を超えても爺ちゃんは聡明で思慮深い、尊敬できる人だった。
俺が小さい頃には英語や漢字の読み書き、相撲のルール、俳句、戦争の話なんかを教えてくれた。
爺ちゃんの住所とかが書ける年頃になってからは、季節の節目や正月、祝い事の度に手紙をやり取りしていた。
婆ちゃんの葬式が終わってから、寂しいだろうからと手紙を書くように父から言われ、久しぶりに手紙を出すようになった。
内容は学校の話だったり、俳句雑誌の話だったり、いつ顔を見せられるかとか、姉にひ孫が生まれたよとかだった。
年に5、6通くらいのやりとりだったけど、だんだん爺ちゃんの字は読めないくらい崩れるようになっていった。
電話しても殆ど聞こえてなくて、一緒に住んでる叔母さんが代弁してくれていた。
父は、
「遂にボケてきた。いつ死んでもいいように、悔いは残さないようにな。」
と言っていた。
婆ちゃんの一周忌で久しぶりに爺ちゃんに会ったが、俺の事はかろうじて覚えてくれていた。
でも親戚のことは何人か忘れていたり、呂律が回らず喋ってることが分からなかったり、車椅子に乗ってる姿を見ると、聡明だった頃の面影が無くなっていて胸が痛かった。
一周忌で親戚一同が集まった夜、いろいろと足りない物を買い出しに行かされた。
車に向かうと、爺ちゃんが後から歩いて来て、
「俺も乗せてけ」
と言って二人で行くことになった。
買い出しが終わって、爺ちゃんと歩いて家に帰る途中、
「最近黒い封筒で手紙出したか?」
と爺ちゃんが聞いてきた。
黒い封筒なんて珍しいし、そんな手紙は出してないよと答えると、爺ちゃんは
「そうかぁ」
と答えた。
外は寒くて、俺の吐く息は真っ白なのに爺ちゃんの息は全然真っ白にならないのが印象的だった。
家の前に着くと、爺ちゃんが
「あんな、爺ちゃん、来年の今頃には逝くからな」
と言ってきた。
その言葉を聞いたとき、なぜか頭の中で
「いく=逝く」
だと理解できた。
爺ちゃんが突然そんなこと言ってきたのに、俺はなぜか冷静に、それじゃ何か欲しいもんある、と返した。
それを聞いて爺ちゃんは、
「ソレ(爺ちゃんが買ったもの)渡しといてくれ。」
と言ってきた。
俺は、わかったと答えると、家に入って親戚達に買い出しのものを渡した。
そして掘り炬燵に座ってる爺ちゃんに、さっき爺ちゃんが買ってきたものを渡した。
それは小さい瓶のお酒みたいで、爺ちゃんはお猪口で一杯飲むと、婆ちゃんの仏壇にお酒を入れたお猪口を置いた。
それで爺ちゃんに、黒い封筒ってなんだったのと聞いたが、呂律が回らずよく聞き取れないことを喋った。
いくつか聞き取れた単語もあったけど、やっぱりなんのことか分からなかった。
次の日、車椅子に乗ってる爺ちゃんを見て気づいた。
買い出しに付いて来た爺ちゃんは普通に歩いていた。
そして普通に聞き取れるよう喋っていた。
爺ちゃんが出かけるときは、誰か付き添うのに誰も付いて来てなかったな、と。
多分あれは爺ちゃんじゃなかった。
近々、爺ちゃんに会いに行く。
その時また封筒のことを聞いてみたい。