太平洋戦争中、曽祖父は兵役で東南アジアに出征していたそうです。
と言っても戦闘要員ではなく、現地に補給用の鉄道のレールを敷く工兵部隊の、小隊長を命ぜられていました。
小隊長といってもふんぞり返っていられるわけではなく、自分自身も一緒に作業していたそうです。
ある日、いつものようにレール敷きの作業をしていた祖父は、探していた工具がトロッコの下にあるのを見つけて、取ろうと思いトロッコの下にもぐり込みました。
すると向こうの空から、聞きなれないプロペラ音が聞こえてきました。
その時曽祖父はトロッコの下にもぐり込んだまま、心臓が止まるかと思ったそうです。
それは敵の戦闘機のプロペラ音だったのです。
「敵機ぃーーーーー!!!!」
隊員の誰かが言うが早いか、機銃掃射が始まりました。
運良くトロッコの陰にいる形になった曽祖父は、戦闘機の照準にはなりませんでした。
そしてトロッコの下から、「みんな逃げろ!逃げろ!それか隠れろ!!!!」とわめいたそうですが、逃げ遅れたり隠れられなかったものは、次々と弾丸に倒れて行ったそうです。
何人もを殺した後、戦闘機は気が済んだのか、はるか遠くの空へ消えて行きました。
プロペラ音が聞こえなくなると、生き残りが周囲の物陰からわらわらと這い出してきました。
うろ覚えですが、たしか生き残りは20人くらいだったと憶えています。
曽祖父は小隊長として、本部にこの事を報告せねばならなかったならなかったのですが、運の悪いことに先ほどの襲撃で通信機が破壊されてしまい、仕方なく全員を連れて徒歩で熱帯雨林のジャングルを突っ切って、本部に向かう事になりました。
地図を元に座標や方角を確認した後、ぞろぞろと行軍を始めましたが、ジャングルと言えば何しろ悪路も悪路。
歩けども歩けども本部には到着しません。
空が暗くなってきて月が昇った頃、ようやく全員気付きました。
「…我々は迷った……!」
すでにその時は、地図を見ても一体今自分たちが何処にいるのかさえわからない状態。
疲労の色が濃い隊員を前に、小隊長として責任を感じていた祖父はひどく焦ったそうです。
通信機が無い今、こんな広いジャングルで迷ったら誰も助けに来られない。
はっきり言ってシリアスな状況です。
しかし曽祖父は気丈を装って言いました。
「こうなったらじたばたしても仕方ない。とりあえず今日はここで野営して、また明日本部を目指そう。
なあに、朝になって太陽が出れば方角が分かるわ」
曽祖父の空元気溢れる発言を受けた隊員たちでしたが、バレバレの空元気では勇気付けられるはずも無く、その場に腰を下ろして、口数も少なく、持っていた食料をポリポリかじっていたそうです。
曽祖父も同じように食料を口にしていた時、隊員のひとりが、
「たっ、たっ、隊長っ……」と密林の向こうを指差しながら、大慌てで曽祖父の方に駆けよって来ました。
指差す方を見ると、何やら暗がりの中で黄色の明かりがユラーリユラーリと揺れている。
夜目の遠目ではっきりとはわからないが、目測では大きさ30センチくらいか。
「…敵……!?」
隊員達に緊張感が漂いました。
もしあれが敵部隊のライトだったら…こんな状態で戦闘になったら…。
そう思うと心臓は駿馬のひづめの様に拍を打ち、冷や汗は滝のようにいくらでも出てきます。
全員ノドをカラカラにしながら、しばらくその明かりを観察していましたが、皆じょじょに怪訝な顔をしはじめた。
どうやらその黄色の明かり、様子がおかしい。
普通ライトを手に持っていれば、その明かりはこっちに近づくなり遠ざかるなりするものです。
しかし、その明かりは近づかず離れず、誘うように同じ位置でずっとユラリとゆれているのです。
そのゆれ方は、8の字を横に倒した無限大『∞』のカタチをなぞるような動きだったそうです。
そして、もっとも驚くべき事がおこりました。
皆がその明かりをまじまじと見つめていると、なんとその明かりが『ちょうちん』になったのです。
そうです。時代劇やなんかに良く出てくるあの提灯です。
現代では全くみかけませんが、当時まだ夜歩きの照明として使われていたそうです。
しかし、ここは日本から遠く離れた戦地。なぜこんなところに?
ありえない、ありえないと、曽祖父は頭を振りました。
しかもそのちょうちんには、何やら文字と家紋が書かれている。
目の前で繰り広げられる不思議な映像に呆気にとられながらも、皆そのちょうちんに目を凝らして、文字を読もうとしました。
そして曽祖父はここでまた、心臓が口から飛び出すほどおどろくことになりました。
「………な、なぁ!!??」
なんとそのちょうちんには、曽祖父の苗字が書かれていたそうです。
しかも家紋は、見まごう事無き我が家の家紋!
隊員達も同じものを目撃し、全員頭の上に巨大な?マークを何個も浮かばせて、曽祖父の顔を見ておりました。
曽祖父は混乱する頭を必死に整理しながら、実家の家族の事を思い出していました。
……そう言えば帰りが遅くなった時、いつも家族がちょうちんを持って迎えに来てくれたっけ。
そうそう。丁度ああ言う風にちょうちんを揺らして、おれが見つけ易いようにって……。
あれは…。あれは、ひょっとしたら、神の助けかもしれない!
何故かそう思った曽祖父は、隊員達にあれは確かに我が家のちょうちんだと告げ、
「あのちょうちんについていくぞ!」と言いました。
まともな判断だとはおもえません。
しかし、隊員達も不思議現象を目の当たりにした直後でしたので、かなりパニくっておりまして、口々に「あれは狐火じゃ」「いやきっと狸じゃ」「化かしてワシ達を食おうとしとんるじゃー」と、およそ論理的でない反論をしていたそうです。
結局、何だか知らないが、強烈な確信のある曽祖父の猛烈な説得により、隊員達はしぶしぶ曽祖父に従うことになりました。
曽祖父はちょうちんに向かってずんずん進んで行きます。
その方角は、曽祖父たちが思っていた方角とは全く別の方向でした。
ちょうちんは前と同じようにゆらゆら揺れながら、常に一定の距離を保って離れていきます。
曽祖父たちは足の痛みも忘れて、そのままちょうちんを追いかけ続けました。
何時間歩いたでしょうか、東の空が白み始めた頃、曽祖父率いる小隊は突然にジャングルを抜け出し、本部にたどりつきました。
いわく、一心不乱にちょうちんを追いかけ続け、急に眼前が開けたかと思うと本部に辿りついていたらしいです。
その時、さっきまではっきり見えていたちょうちんは、どこを見回しても影も形もなかったそうです。
日本に帰ってきた曽祖父は、両親にそのことを報告しました。
すると両親から、驚くべきことをきかされました。
なんと曽祖父が出生した後、曽祖父の父は息子の生還を願って、毎晩近所の山中にある稲荷神社に出向き、行水をしていたのでした。
それは雨の日も風の日も、一日とて休まず続けられたそうです。
曽祖父が遭難しかけた前後は、何故かこれまでに無いほどのイヤな胸騒ぎが猛烈にしたらしく、風邪の身を押して稲荷神社にでかけ、普段より気合をいれて行水をしていたのだそうです。
「お稲荷さんが不憫におもって、お使い狐を東南アジアにまで飛ばしてくれたんかねぇ…。
あのちょうちんはきっと、狐火が化けてくれたんじゃわ…」
とは、私にこの話を教えてくれた祖母の言葉です。