これは私が子供の頃、父親から時々聞かされていた話です。
昔、とある山奥の一軒家に母親と息子が住んでいました。
畑を耕したり、木の実やキノコを採ったりして、2人で力を合わせて暮らしていました。
しかしそれでは生活が苦しくなり、息子は街で働くことになりました。
息子はアパート暮らしをしながら一生懸命働きました。
そして時々、稼いだお金で食料品や衣料品を購入して、山の母親に届けました。
ところがやがて、息子は街で結婚しました。
その後、妻や子供を支えることで忙しくなり、山奥の母親のもとに通う回数が減っていったのです。
母親はその間も、息子を待ちながら1人で頑張って生活していました。
ところが徐々に足腰が弱くなり、あまり遠くへは木の実やキノコを採りに行くことができなくなりました。
そのため母親は、庭の畑で獲れた作物のみで食いつないでいくことにしました。
以前息子が届けてくれた食料品は、もうとっくにありません。
母親はひもじさを我慢して、来る日も来る日も、息子を思いながら畑を耕しました。
しかし足腰の衰えた母親1人では、もうしっかりと畑仕事をすることができませんでした。
種を蒔いても芽が出ず、芽が出ても苗はすぐに枯れました。
頑張っても頑張っても作物を収穫することはできず、母親はやむなく家の周りの草木を食べることにしました。
雑草を摘み、樹木の皮をはいで、鍋で煮込んで食べるのです。
雑草や樹皮は日に日に減っていきました。やがて家の周りには、食べることのできそうな植物は何もなくなりました。
とはいえ足腰の悪い母親には、遠くまで草木を採りに行くことができません。
そしてそのうち、家から一歩も出ることができなくなるくらいに体が衰えました。
それにもかかわらず、お腹は空きます。
ひもじくてたまらず、母親は窓の障子紙を小さく破って食べました。
もう他に食べることができそうなものは何もなかったのです。
ひもじさと、息子が来ないという寂しさから、母親は泣きながら毎日障子紙を破って食べました。
ビリビリビリ…ムシャムシャムシャ…
ビリビリビリ…ムシャムシャムシャ…
家からは障子紙を破る音と、それを食べる音だけが物悲しく響きました。
その頃、街で妻子と暮らしていた息子は生活が安定し、時間もとれるようになりました。
そこで食料品を買って、久しぶりに山奥の実家に行ってみることにしました。
しかし実家へ近づいていくにつれて、息子は違和感を覚えました。
実家周辺の木々の皮が、すっかりむしられているのです。雑草も1本も生えていません。畑は荒れ放題です。
心配になった息子は走って実家に向かいました。
そして戸を開け
「かあさん!」
母親を呼びました。返事はありません。
「かあさん!かあさん!!」
何度呼んでも、返事は戻ってきませんでした。
よく見ると、家の中の様子もおかしいのです。
部屋という部屋の障子が、全て紙のない状態になっていました。
不安と恐怖とを感じながら、息子は一番奥の部屋へと向かいました。すると
ビリビリビリ…ムシャムシャムシャ…
音が聞こえてきました。
母親がいた!と思い、息子は嬉しくなって奥の部屋のふすまを開けました。
「かあさん!ただいま!」
しかしそこに母親の姿はなく、枯れ枝のように痩せ細った遺体が転がっていました。
家中の障子紙を食べ尽くしていた母親は、もうとっくに飢えて死んでいたのです。
その後家は取り壊されましたが、今でも家があった場所では
ビリビリビリ…ムシャムシャムシャ…
という音が、夜な夜な響いているそうです。
私にこの「紙食いばあさん」という話を教えてくれたのは、実は父親だけではありません。
親類や近所のおじさんも、内容は若干違えどもふとした拍子にこの「紙食いばあさん」の話をしていました。
しかし私が詳しく尋ねるも、皆一様に気まずそうな顔をして話を濁していました。
もしかしたらこの話は実話で、話をしてくれた人の中に「紙食いばあさん」の息子、もしくはその知り合いや関係者がいた…のかもしれません。