師匠シリーズ 第30話 坂

師匠シリーズ 第30話 坂

大学1回生の夏。
『四次元坂』という地元ではわりと有名な心霊スポットに挑んだ。
曰く、夜にその坂でギアをニュートラルに入れると車が坂道を登って行くというのだ。
その噂を聞いて僕は俄然興奮した。
いたのやら、いなかったのやら分からないようなお化けスポットとは違う。
車が動くというのだから、なんだか凄いことのような気がするのだ。
とはいえ一人では怖いので、二人の先輩を誘った。

夜の1時。
僕は人影のない最寄の駅の前でぼーっと立っていた。
隣には僕が師匠と仰ぐオカルトマニアの変人。
やはりぼーっと立っている。
いつもなら僕がそんな話を持って行くと、即断即決で「じゃあ行こう」ということになる人なのだが、その時は肝心の車がなかった。
師匠の愛車のボロ軽四は原因不明の煙が出たとかで、修理に出していたのだった。
僕は免許さえ持っていない。
そこで車を出せる人をもう一人誘ったのだが、ある意味で四次元坂よりも楽しみな部分がそこにあった。

闇を裂いてブルーのインプレッサが駅前に止まる。
颯爽と降りてきた人はこちらに手を振りかけて、すぐに降ろした。
「なんでこいつがいるんだ」
京介さんという、僕のオカルト系のネット仲間だ。
「こっちの台詞だ」
師匠がやりかえして、すぐに険悪な空気に包まれる。
まあまあ、と取り成す僕に師匠が「どうしてお前はいつも、俺とこいつが一緒になるように仕向けるんだ」というようなことを言った。
面白いからですよ。
とはなかなか言えないので、かわりに、まあまあ、と言った。
師匠と京介さんは仲が悪い。
強烈に悪い。
それは初対面のときに、京介さんが師匠に向かって、
「なんだこのインチキ野郎は」
と言ったことに端を発する。
お互い、多少系統は違えどオカルトフリークとしては人後に落ちない自負があるらしい。
いわば磁石のS極とS極だ。
反発するのは仕方のないことかも知れない。

「まあまあ、四次元坂の途中には同じくらいの激ヤバスポットもありますし、とりあえず楽しんで行きましょう」
なんとか二人をなだめすかして車に押し込める。
当然師匠は後部座席で、僕は助手席だった。
「狭い」
師匠の一言に京介さんが、黙れと言う。
「くさい」
と言ったときは、車を停めてあわや乱闘というところまで行った。
やっぱりセットで呼んでよかった。
最高だ。この二人は。
そんな気分をぶっこわすようなものがいきなり視界に入ってきた。
対向車もいない真夜中の山中で、川沿いの道路の端に巨大な地蔵が浮かび上がったのだった。
比較物のない夜のためか、異常に大きく見える。
体感で5メートル。
「あれが見返り地蔵ですよ」
車で通り過ぎてから振り返ると、側面のはずの地蔵がこっちを向いていて、それと目が合うと必ず事故に遭うという曰くがある。
二人が喜びそうな話だ。
喜びそうな話なのに、二人とも何もいわず、振り返りもしなかった。
ゾクゾクする。
怖さのような、嬉しさのような、不思議な笑いがこみ上げてきた。
振り返れないから、僕のイメージの中でだけ道端の地蔵は遠ざかり、曲がりくねる闇の中に消えていった。
もちろんそのイメージの中では、こちらを向いていた。
無表情に。

師匠も京介さんも押し黙ったまま、車は夜道を進んだ。
イライラしたように京介さんはハンドルを指で叩く。
やがて道が二手に分かれる場所に出た。
「左です」
という僕の声に、ウインカーも出さずにハンドルが切られる。
左に折れると、すぐに上り坂が始まった。
「どこ」
「ええと、たしかもうこの辺りからそのはずですが」
あくまで噂では。

京介さんは車を停止させると、ギアをニュートラルに入れた。
・・・
ドキドキするのも一瞬。
じりじりと車は後退した。
京介さんはため息をついてブレーキを踏んだ。
「あー、ちょっと楽しみだったんだけどなぁ」
僕も残念だ。
たしかに本気でそんな坂があるなんて信じていたかと言われれば、否だが。
すると師匠が「ライト消して」と言いながら、車を降りた。
手には懐中電灯。
3人とも車を降りると、周囲になんの明かりもない山道に突っ立った。
「まあ多分こういうことだな」
と師匠はぼそぼそと話しはじめた。

この山中の坂道はゆるやかな上り坂になっているわけだが、道の先を見ると路側帯の白線が微妙に曲がり、おそらく幅が途中から変わっているようだ。
それが遠近感を狂わせて上り坂を下り坂に錯覚させるのではないか。
周囲に傾斜を示すような比較物が少ない闇夜に、かすかな明かりに照らされて浮かび上がった白線だけを見ていると、そんな感覚に陥るのだろう。
師匠の言葉を聞くと、不思議なことにさっきまで上り坂だった道が下向きの傾斜へと変化していくような気がするのだった。
「つまり、ハイビームでここを登ろうとする無粋なことをしなければ、もう少し楽しめたんじゃない?」
師匠の挑発に、京介さんが鼻で笑う。
「あっそ。じゃあここで置いていくから、存分に錯覚を楽しんだら」
「言うねえ。四次元坂なんて信じちゃうかわいいオトナが」
虫の声が遠くから聞こえるだけの静かな道に、二人の罵りあう声だけが響く。
しかし、京介さんの次の言葉でその情景が一変した。
「どうでもいいけど、おまえ、後ろ振り向かないほうがいいよ。地蔵が来てるから」

零下100度の水をいきなり心臓に浴びせられたようなショックに襲われた。
京介さんの子供じみた脅かしにではない。
その脅しを聞いた瞬間に、師匠が凄まじい形相で自分の背後を振り返ったからだ。
驚愕でも、恐怖でもない、なにかひどく温度の低い感情が張り付いたような表情で。
しかしもちろん、そこには闇が広がっているだけだった。
その様子を見た京介さんも息をのんで、用意していた嘲笑も固まった。
おいおい。
笑うところだろ。
騙された人を笑うところだろ。
そう思いながらも、夜気が針のように痛い。
「すまん」
と京介さんが謝り、なんとも後味悪く3人は車に戻った。
師匠は後部座席に沈み込み、一言も口を利かなかった。
そして僕らはくだんの地蔵の前を通ることもなく、県道を大回りして帰途に着いたのだった。

師匠を駅前で降ろして、僕を送り届ける時に京介さんは頭を掻きながら、「どうして謝っちまったんだ」と吐き捨てて、とんでもないスピードでインプレッサを吹っ飛ばし、僕はその日一番の恐怖を味わったのだった。

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