私が大学生時代に体験した怖い話をする。
大学で文芸部だったのだが、私には親しい男友達が出来た。
彼は私を異性ではなく、同性のように扱っていた為に、逆にウマが合ったのだろう。
彼は所謂、金持ちの家で、大学には外車でくるような人間だった。
私も含めた仲間達を連れて、よく色々な場所にドライブに連れていってくれた。
その男友達の家は「お化け屋敷」と呼ばれていた。
実際に、不動産業者が持て余していた、殆ど廃墟になっていた洋館風の家を買い取って、改装した大きな家だ。
敷地も広く、家を購入するにしては驚く程、安い金額だったらしい。
両親が大企業のお偉いさんらしいので、年収も結構あった為に、ローンを組まずに一括払いだったらしい。
バブルの頃に好事家によって建てられた家らしいのだが、その後、家は売却されて、そのまま廃墟となっていたらしい。
不良などの溜まり場になっており、改装前の家の中はラクガキばかりだったそうだ。
他にも、地元では、この廃墟の中には幽霊が出るだの、元の住人は夜逃げして、その際に女房を殺害してバラバラにして家の中に隠しただの、そういった噂が尾ひれを付けて地元で出回っていた。
不動産業者としても、心理的瑕疵物件のように扱っていた為に、友人の両親には、購入前に逐一その事を説明したらしい。
外装は、いかにもな、西洋の貴族のお屋敷のような家なのだが、友人が遊びに誘ってきて中に入ってみると、普通に最新のTVゲーム機やパソコンが置かれていたり、ミスマッチな和室などもあった。
「俺、そんなに金持ちじゃねぇよ」
それは友人の口癖だったのだが、大学に中古とはいえ、高級車で行き帰りする彼は、誰がどう見ても、金持ちのボンボンに見えた。
家の中を探索させてくれて、一通り見て回った後、私は大きく溜め息を吐いた。
まるで、お城のような場所だ。こんな場所に住んでみたい。
「そうだ、あそこも見て帰るか?」
家には「地下室」があった。
ワインセラーになっており、父親の年代モノのワインをくすねては、飲み会の時などに持ち込んでいるらしい。
所謂、バブル時代に流行ったドンペリなるものも普通にワインセラーの中には置かれているらしかった。
「なんかさ。地下、三階まであるらしいんだよ。見ての通り、親父が地下一階は酒置き場に改装したんだけどさ」
そう言いながら、友人は地下室へと続く階段に案内する。
地下二階の中は、簡易的な毛布が何枚か置かれているだけで、後は、何も無いフローリングの床になっていた。
「ここに女連れ込んでさあー。テニス・サークルとか軽音サークルの女連れ込みたいんだよねえ。
親父にもお袋にも、家の中で連れ込んできた女とヤルな、声がうるさいって言われてさあ」
彼は頭をぽりぽり掻いた。
「私は女じゃないのか」
軽口を叩いた。
「お前、文芸部じゃん。それに化粧っ気無いし」
「要するに、ブスだって言いたいんでしょ?」
「まあ、そうだな」
彼は髪の毛をぽりぽりと掻いた。
そんなわけで、腕時計を見ると、日も暮れてきた時間なので帰る事にしたのだが。
私は、この地下二階の部屋で、あるものを見つけてしまった。
壁だ。
壁に、何か、黒い人型のようなシミがあった。
「ねえぇ、あれ、何?」
私は友人に訊ねる。
「あれ? 俺も分からない。目立つよな。でも、今の処、何も無いから、ただのシミだって思ってる」
そう友人は言った。
だが、そのシミはどうも不穏な感じがひしひしと伝わってきていた。
友人の家から帰る時に、廊下で奇妙な感覚を覚えた。足の脛の辺りを何者かに触られたのだ。
どうにもくすぐったい。まるで、何か小さな生き物に触れられたような感触だった。
そして……、何名かの子供の笑い声が聞こえた……。
数日後の事だった。
その友人から携帯電話にメールがあった。
当時はスマートフォンなんて無く、画質の悪い画像だったのだが、はっきりと、あの地下二階の黒いシミのような写真が大きな人型に変わっているのが分かった。
そして、シミは他にも幾つか増えている。
私は得体の知れない寒気がした。
シミは大体、六、七歳児くらいの子供の姿に見えた。
そして、私が彼の家から帰る際に、廊下で感じた気配、私の脚に触れた感触は、確かに幼い子供のものだった。
…………、幽霊屋敷。
やはり、そう思わずにはいられない。
それから、一ヶ月半くらいだろうか。
私は彼の家に遊びに行ったのを忘れていた。
そうこうしている間に、大学も夏休みに入っていた。
友人から唐突にメールが来たのだった。長文だった。
何でも、霊感のある女の子を連れて家に遊びに来て貰った処、うずくまって泣き出してしまったらしい。
両親に話をしてもまるで取り合ってくれない。父親に至っては怒鳴り散らされたのだと。
しかも、父親は仕事で自宅に帰る事が少ない為に、余計に家の状況が分からない。
今は一人暮らしをする事を考えている。
そういった内容だった。
文章が少し支離滅裂だった為に、私は落ち着くように、とメールを返した。
その後、十分くらいして、また長文のメールが送られてきた。
まず、家の中で冷蔵庫が荒らされる事が多くなって、夜、庭で強い気配を感じるようになったそうだ。
どうやら、複数の男女が騒いでいるように思えるが分からない。
それから、酷く悪夢を見るようになった。
その事を飲み会で知り合った霊感の強い女の子に話したら、家に来て見て貰う事になったらしい。
地下のワインセラーの辺りに行くと、うずくまって、ここは、霊の通り道になっており、様々な浮遊霊を集めているそうだ。
しかも、元々、人が住んでいない時間が長かったせいで、集まってきた住民達は、新たに家を改装して入った者達を恨んでいる。
極めつけは、昨日、妹がバイク事故にあって、今、病院に入院している、との事だった。
何とかして、今は一人暮らしをする為に両親を説得しようと悩んでいる、と、最後に付け足していた。
私はお祓いは出来ないのか、とメールを打った。
すると、霊感の強い女の子いわく、お祓いをやれば逆効果の可能性が高い、と言っていたそうだ。
ローン無しの一括払いで買った家だ。
父親の方は主に職場で寝泊まりしている事が多いそうだ。
共働きで、母親の方も、夜は遅い。
私の友人はすっかり困り果てて、私の家に泊まっていいか、と言ってきたが、さすがに男と女なので、無理、とメールを返した。
その後、その友人とは大学の夏休みが終わるまで音信不通だった。
二、三ヶ月ぶりくらいに文芸部の部室で会った友人は、げっそりと、やつれた顔をしていた。
お風呂に入っていないのか、少し臭かった。髪の毛もてかてかと光っている。
私は友人の変わりように困惑していた。
私は軽く挨拶をした。
十月頃には、文芸部が年に四回は発行している文章を寄稿しなければならなかった。
私も他の部員もその事を彼に伝えた。彼は何とか期限までには間に合わせる、と言った。
それから、私に助けを求めるように、友人は写真付きのメールを送ってきた。
明らかに心霊写真だった。
赤いオーブ。得体の知れない影。人魂のような光。生首がぽつりと浮かんでいる窓の外の景色。
写真に添えられた友人の文章も支離滅裂になっていった。
私は気持ち悪くなって、見る度にメールと添付された画像を削除していった。
明らかに追い詰められている悲鳴だった。私は溜まらなくなって、着信拒否にした。
三日後、別の携帯から心霊写真と共に助けを求めるメールが届いた。
私は自分の電話番号とメールアドレスをその日のうちに携帯ショップに行って変えて貰った。
私は、友人を完全に見捨てる態度を取る事に決めていた。
私は人付き合いにおいて、元々、ドライな部分があったのもそうだが、幼少期から容姿を悪く言われてきたせいもあって、性格が少しひねくれていたのかもしれない。
正直、どうすればよかったのか、今でも悩む事がある。
10月になって、友人は、一度、文芸部に来てから『オバケヤシキ』というタイトルの私小説を冊子に寄稿するものとして、パソコンで印刷したA4用紙の束を渡してきた事を、他の文芸部のメンバーから知らされた。
私はそれを借りて、内容を読んでいく。
中にはびっしりと、日記形式で、友人が自分の家で起こった出来事を克明に記されていた。
その中の半分くらいは私が知っている出来事だけれども、他にも友人は、霊能者を連れてお祓いをして貰ったり、家中に御札を貼ったり、自分の身体にお経を書いてみたりして、色々な事を試してみたらしい。
何故か、ゴキブリ退治用のベント剤を買って駆除しようとした、といった笑ってしまえるエピソードも混ざっていた。
ただ、後半になるに連れて、明らかに友人の文章は心を病んでいった。
そして恐怖に慄く内容に満ちていた。
天井を夜中にドタドタと走られる音を聞いて絶叫しながら自分の身体を刃物で切り裂いてみたりとか、部屋中を首吊り用にこしらえたロープで満たしてみたりとか……。
心霊現象だけでなく、明らかに友人の心は狂気に蝕まれていた。
それから、10月の後半には、文芸部から冊子が出て、友人の“私小説”は多くの人の眼に触れる事になった。
『オバケヤシキ』と評された友人の“作品”は、冊子を読んだ多くの人から絶賛された。
そして、その年が終わる頃には、友人が心の病の病院に入った事を知らされた。
あれから、10年以上が経過する。
当時の文芸部員の仲間の頼りでは、その友人は今でも精神病院に入って、見えないものの話を延々としているらしい。
そして。
その当時の文芸部の秋の冊子には、友人が寄稿した怪奇現象の記録になっている私小説が掲載された冊子は、大切に大学に保管されている。
母校の大学に戻ると、今でも誰でも読めるらしい。