もう、五年以上前の話だ。
俺は当時、借金が400万円以上もあった。
ギャンブルで作った金だった。
返す当てもなく、実家にいる親からも見放されていた。親戚や兄弟からは縁を切られる寸前だった。
俺は日雇いで何とかその日暮らしを続けていたが、結局、パチンコや酒、煙草代に消えた。
借金を返すアテは無かった。
そんな時、俺は六畳の自宅で求人広告を眺めていた時だった。
なんと、一ヶ月で百万の収入が入るバイトがあるらしい。
金遣いの荒い俺は、半年で借金を全て返そうと考えていた。
半年もあれば、利子も含めて返せるだろう。そんな安直な考えだった。
治験のバイトだ。
まだ世間には普及されていない新薬の実験台になるバイトだ。
額はかなりおいしく、楽に稼げる仕事だ。
それが、堂々と求人広告に載っている。
俺は指をぺろり、と舐めた。
求人広告に載っていた電場番号に電話すると、すぐにバイトが決まった。
それから、数日後、俺はある場所に向かう事になった。
それは、何かの工場の地下だった。
医療施設があったんだ。
「しばらくは、寝ていてくれるだけでいいからさあ」
白衣を着た男は、そう言った。
怪しい現場だし、治験といっても、きっとヤクザ絡みの仕事なのかもしれないと覚悟していたが、意外にも、現場にいる人間は小奇麗な服装で、丁寧な物腰をしていた。
しばらくは、寝ているだけでいいのか。
俺は案内されるまま、病室に入った。
そこには、何名かの者達が、病院着を着てベッドの上で寝転がっていた。
本棚があり、漫画雑誌などが並んでいる。
大体、仕事は自由時間らしい。
部屋にいる者達は、トランプなどをやって遊んでいた。
俺のやる事と言えば、一日に三回程、食事の後に決まった錠剤を飲む事だった。
「お前、名前は?」
右隣にいる患者が声をかけてきた。
「芳野。お前は?」
「俺は渡辺。こっちのヤンキー崩れの奴は前田」」
前田は頭に剃り込みがあった。
前歯が無くて、怖い。
マージャンやっている奴らと同じだ。
俺は部屋全員の奴らとすぐに打ち解けていった。
そして、俺と渡辺と前田、そして四十代後半で元トラック運転手の野崎さんの四名は、よく打ち解けていた。
四人でひっそりと賭けトランプをやった。
俺はシャバで四百万の借金があると言うと、野崎さんは「俺なんて、まだ倍の八百万ある。これでもシャバで三百万返したんだぜ、坊主。人生諦めるもんじゃねぇぞ」と笑っていた。
それから、数日が過ぎた。
突然、強い腹痛を訴える者が現れた。
なんでも、その男は二十代後半くらいで、左目も見えなくなっていると騒いでいた。
彼の名前は宮坂、学生時代はオリンピック選手になれるくらいに水泳が上手かったとしきりに風潮していた奴だ。
彼はしきりに左目の異常を訴えていたら、白衣の男女だから、別の部屋へと案内された。
その頃になると、俺達は、別の薬を処方され始めていた。
毎日、ひたすら寝て遊ぶだけ。気分は極楽浄土。
けれど、宮坂の件があってから、俺達には、いや、俺には一抹の不安が走っていた。
錠剤は口にする時に、白衣の男女に必ず監視される。
飲まずに隠し通す、という事は出来なかった。
この部屋に来てから、16日後の事だった。
前田がベッドの上で脱糞していた。
便の悪臭が異様なまでに部屋全体を覆っていた。換気もろくに出来ない。
そして、彼はしきりに唸り声ばかりを上げていた。そして、口から涎を垂らしていた。
彼はそのまま転がり何かを叫び続けていた。
彼は白衣の男女によって、別の部屋へと案内された。
「なあ、野崎さん。この仕事、一体、なんなんすか? 治験ですよねぇ? 新薬の実験台になる」
「そうだけどなあぁ。俺が入ったのは、坊主、お前の四日前なんだけよぉ。入った当日に、別の部屋にいった奴がいたんだよ。なんでも、頭蓋骨の中が痛い、って喚き散らしながら」
そう言う野崎さんの両腕は奇妙に黒く変色していた。
それから二週間が経過した。
約束の三カ月もいられる筈が無かった。
渡辺がしきりに嘔吐して、食事が出来ずに、点滴だけで過ごすはめになったからだ。
渡辺も失禁と脱糞の症状を繰り返して、前後不覚になっていた。
部屋の隅では新しく入居した名前も忘れた奴が、失明の危険性もおかまいなしに、しきりに自らの眼球を引っ掻いていた。
その頃になると、俺はしきりに、もう仕事を止めたいと、白衣の者達に懇願していた。
「君、契約は後、二か月くらい残っているよね」
「すんません、ほんと、すんません、俺をこの部屋から出して頂けませんか」
俺は泣いて懇願していたと思う。
誰かが出ていった後も、新しい誰かが入ってくる。
野崎さんは、まだ部屋の中にいた。
けれど、全身の皮膚がドス黒く変色していた。
それから、俺は夜になって、必死で夜逃げしたんだよ。
脱出出来るもんだな、意外と。
ロッカーに隠れたり、ベッドの下に隠れたり、忍び足を立てたりして、なんとかその部屋から抜け出す事が出来た。
で、あれから一週間後かな。
家に本当にヤクザが来た。
で、部屋に戻されるか、もしくは山にでも連れていかれるかと思うと、ヤクザは俺に封筒を手渡して、そして書類にハンコを押させた。
“あの場所で見聞きした事は絶対に口外しません”ってね。
封筒の中には、百万とちょっと入っていた。
一応、あの部屋に入っていた日にち分は給料を出してくれたみたいだ。
そう考えると、良心的だったと思う。
で、あれから五年して、俺は残った借金二百万くらいをバイト代で少しずつ返している。
ギャンブル癖は相変わらず治らないので、借金が増えたりもするんだ。
先日、あのバイトは何だったのかを調べていると、某匿名掲示板で、あのバイト先で部屋に入っていた奴からの情報が入ったんだよ。
なんでも、俺達が飲まされていた錠剤の中には寄生虫の卵が入っていたらしい。医療用に使うんだと。
他にも、色々な成分の薬、錠剤に入れていたみたいだけどな。
で、掲示板に書いていた匿名の奴は、IPアドレスを探られるのが怖いので、ネットカフェから書き込んでいるんだそうな。
で、そいつやっぱり身体の調子がおかしいんだと。
それにしても、本当にこういう事は思うよ。
所謂、自己責任だって。
実は、俺はあの部屋での後遺症で、左足に障害が出て、右目がたまに見えなくなる。
それでも、何とか仕事やっているよ。
世の中おいしい話には裏があるよな。
俺はクレジット・カードの催促を見ながらよく思うよ。