10年近く前の話。
ベッドの上で恋人と寝転がって本読んでたらドスッて音がした。何だろうと思い辺りを見回した。が、何もない。
「今音がしなかった?」「した気がする」互いにキョロキョロしたが何もなかったので気のせいかと思って放置した。
次の日、自宅でテレビを見ていると隣の寝室から悲鳴が聞こえた。驚いて行くとクイックルワイパーみたいな掃除道具を持った彼女が、ベッドの下を指を差して「貴方がやったの?」と真っ青な顔をして突っ立っていた。腹ばいになって覗き込むとベッドの下から何かぶらさがっているようだった。
状況が飲み込めないまま彼女に手伝ってもらい、ベッドを横向きに起こした。目の前に映ったものを見て鳥肌が立った。
引越しの際に全て新調した際捨てたと思っていた古い果物ナイフが、真っ直ぐ柄の部分まで深く突き刺さっていた。
ベッドに厚みがあったので刃が上にまで貫通はしていなかったが。その時、昨日2人が聞いた音は、もしかしてこれだったのかと思った。
侵入者かもしれない、おかしなことが起きてると内心、心臓が高鳴っていた。たしかに昨日まではベッドの下に異変はなかったというので警察に連絡しようとした時、彼女が言った。
「でも、このベッドの下にどうやって入り込めるの?」と、ベッドを元通りにして気がついたが、床からベッドの高さは低く、小さな子供が寝転んでも潜り込むのは無理だった。
いよいよ意味がわからない状況に不安がよぎった。結局警察には連絡するのを止め、しばらくの間二人で様子を見つつ、なるべくそのことを忘れようと努めていた。
そんな不気味な出来事があった一ヵ月後、偶然元恋人と共通の知り合いと再会した。そして一ヶ月近く前に元恋人が自殺したことを聞かされることになった。
当時、半ストーカーの様になっていた元恋人は、付き合った当初の面影が無くなっているほど荒れていた。元々メンタルが弱いのもあったが、発狂に近い思い込みで四六時中口汚い言葉を送りつけてきたり、玄関前に立ち続けたりしていた。別れた原因は、相手の依存性が強すぎたことに自分が疲れてしまったことだった、最初は申し訳ないという気持ちもあった。
しかし元恋人が元々性格に問題がある子だと知った。しかし知るのが遅すぎた。呪ってやると言われ続け、本当に拗れた凄まじい別れになった。
自分自身の生活も乱され悩まされた1年後、ノイローゼ気味になった私は引越しをして連絡先を全て変更した。新しい環境になりようやく穏やかな当たり前の平凡を取り戻せたことで、
新しい恋人と出会い、幸せな生活に感動した。元恋人から逃げるように去ってから3年。殆ど悪夢に悩まされることもなくなっていた。
しかし、その知り合いとの再会で、自殺したことを知ったことで、脳裏に鮮明な2つの映像が流れた。1つは記憶。1つは妄想。
「このナイフでこれからも、貴方の大好きな果物切ってあげるの、私だけよね?」まともだった頃、古びたアパートの台所で逆光に包まれながらナイフを片手に笑って立っていた元恋人。
「呪ってやる」
ベッドの僅かな隙間に潜り込んで上を剥いて睨んでいる圧縮した様な薄っぺらい元恋人。
あのナイフが何だったのか今でもわからない。ナイフは供養してもらったが、でも一生忘れられないと思う。