戦中にはよく都会から、やむにやまれぬ事情で物売りになって米を買うために田舎に訪れる方が多くいたそうです。
あるとき、母親と娘の物売りが村にきたそうです。
山村では手に入りにくい干し魚で、米を買おうとしたそうです。
ところが、その駐在代わりの家の夫婦が、「米が一すくい多くとった」と言いがかりをつけ親子を座敷牢に閉じ込めてしまいました。
その夫婦がした拷問はかな酷く、娘は死んでしまい、母親は盲目になりました。
釈放された母親は、手探りで石を掴むとそれを自分の小指に叩き込み、引きちぎり、その家の正面に埋め込むと拷問のせいでしゃがれた声で、
「この家を末代まで祟って祟って祟り尽くしてやる。」
と言い立ち去ったそうです。
その後、この家では孫が一人うまれたんですが長男は叔父と共に事故で死亡、長男の嫁は病死、孫は身ごもると子供ともに死んだそうです。
結局、残った夫婦は祟りを恐れ、いろんな宗教に手を出したそうです。
結果、田畑を手放す事になり、死んでいるのが見つかった時には、米どころか家には着るもの一つ無く、カサカサに渇いて餓死していたそうです。
いまだにこの家は廃墟として残っており、子供のときには近寄らないように親に言われたものです。