昔付き合っていた彼女の影響か・・・視界の端っこの方に、本来見えてはいけない人たちが見えるようになってしまった。
最初の頃は錯覚と思い込んでいたが、地元の飲み屋に行った時に、トイレの前で体育座りをしている女の子を、
「あの子、寂しそうなんだけど」
と、リスカ痕のある娘に話したところ、
「あなたも見えるんだ」
と言われたことにより、見えることを認識し現在に至る。
つい先日の盆前、会社内での出来事の話。私の任されている課は、工事やメンテナンスが主な業種の為、とにかく残業が多い。
総勢といってもたった7名の部署だが、全員帰社が遅くなるという事で、私一人、社内で全員の帰社を待つことにした。
遅れている仕事を取り戻そうと、躍起になってPCにデータを打ち込んでいたところ、電話が鳴った。
「はい」
相手は何も言って来ない。
間違いだろうと思いながら電話を切り、PCの画面を見た瞬間に気が付いた。
「今の・・・内線だよ・・・社内には誰もいないはず・・・」
間仕切りはしてあるが、全ての部署が同じフロアに入っている極々小さな会社だ。
入った内線の番号は『11』。
ホントかよ・・・先月、鬱になって辞めた奴のデスク(空席)からだった。
間仕切りの上から実体の無い誰かに覗き込まれている気がしてしまい、仕事に身が入らない。
時計は夜10時半。
駐車場を挟んで国道に面している為、交通量は多い。
「駐車場でタバコでも吸って、気分を入れ替えよう」
立ち上がって向きを変えた途端、視界の端にスーツ姿の男が見えた。
私はいつもの気付かないフリをしながら階段へのドアを開けると、今度は給湯室に入っていく男の後ろ姿を見るが、これも気付かないフリで階段を駆け下りた。
裏口のドアを勢いよく開け、ゆっくりとタバコを吸いながら落ち着きを取り戻す。
フロアに戻らずこのまま全員の帰社を待つ事も考えたが、電話の応対が出来なくなってしまう。
これは無理な考えだ。
「そう真夜中という時間ではないし、目の前にはこんなに車が走っている。まだ出て来る時間帯ではないだろう」
無理矢理自分に言い聞かせ、気分転換にトイレに立ち寄った。
これが、いけなかった。
強がりを言ったところで、社内には私一人である。
トイレの入り口ドアを開けたまま、小便をしていると、キィィ・・・・・・バタン!!ドアが閉まった。
背筋がぞっとし冷や汗が出てくるが、何事も気付かないフリをする。
私は今まで全てを、そうやってやり過ごしてきた。
変な自信ではあるが、大丈夫だろうという気持ちはある。
しかし、ここで手を洗いながら鏡を見るような強い精神は持ち合わせていない為、手も洗わず鏡を見ないように、入り口のドアを開ける。
開かない・・・押す・引くを間違えたとか、そんな洒落では済まない・・・視界の左端には鏡がある。
一番右の鏡に映っているのは私。
じゃあ・・・真ん中の鏡に映っているのは誰だ?
鏡に対して正面を向いている奴は誰だ!?
「ドン!ドンドンドンドン!」
裏口ドアから勢いよく、音が飛び込んできた。
と同時に、トイレのドアが開いた。
確認もせず裏口を開けると、真っ黒な姿の部下達が、ブスッとした表情で立っていた。
私は安堵の表情で「お疲れさん」と声をかけると、部下達が開口一番言い始めた。
「カギ開けといてくださいよー」
・・・当然閉めたつもりはない。
「なんかあったんすか?えらい何回も会社から電話がありましたけど、出ると切れちゃうんすよ。何回もっすよ!?」
「俺はフツーに帰社何時になる?って聞かれたけど、課長からじゃないんすよ。誰だろ?」
「俺、電話は無かったけど、裏口は開いてないし、駐車場に着いた途端にフロアの電気消えるし。いじめられてるのかと思った」
等々。
「いやいや、社内は私一人だよ。私も今散々な目に遭ってたところだよ」
皆キョトンとした顔をしている。
「まぁ全員帰って来たことだし、伝票は週明けの朝イチに出せばいい。今日は何か変だ。机の上だけ整理して、即帰ろう」
「あれ?」
皆で階段を上りながら、現場班長が声を出す。
「誰かまだいたんすね。今、給湯室に誰か行きましたもん」
・・・そんなはずない。
「ん?倉庫にも誰かいますって。どうしたんすか?課長」
・・・絶対にいない。
なぜか真っ暗になってしまったフロアを、ガラス戸越しに見る。
部下達が勢いよくガラス戸を開ける。!!!
「わぁっっ!!」
先頭に入った班長が後ずさりする。
なんとフロア内に、鬱で辞めたはずのKがいる!
凄い形相でこちらを睨みつけている。
「Kさん!」
皆一同に声を出し、私も思わず
「なにやってんだ!」
と言ってしまった。
「でんき!電気!!」
と誰かが声を出す。
慌てて電気を点けると、Kが消えた・・・
「やばい!やばい!やばい!」
班長がそう叫ぶと、他の部下達もそれに追従し始め、ただならぬ雰囲気を感じ取ったようだ。
「大事な物だけ取って、早くここを出た方がいい。早くしろ!」
皆一斉に走り出す。
私の大事な荷物はポケットに入っていた為、フロア入り口のドアを半開きに足で支えながら、皆を待った。
その時!フロアの電気が消えた・・・
私の後ろにも誰かがいる・・・
給湯室から戻って来たのだろうか・・・
シーンとしたフロア内で、いきなり「ドン!ドン!ドドドッ!!」。
ものすごい音が鳴り始めた。
真下の倉庫からの突き上げ音。
屋根から何十人という人数による、足踏み音。
あまりの大きさに一瞬平衡感覚を失い、よろけそうになる。
「うわぁぁ!うわぁぁ!!まど!窓!窓!!」
誰かが叫ぶ。
私たちは見られていた・・・
窓の外には大勢、まさしく何十人という人数の者たちが、こちらを凝視していたのだ。
堪らずに座り込む。
「ダメだ、無理だ・・・」
私はこの言葉を、ずっと言っていたような気がする。
顔を上げる事が出来ない・・・
「ドン!ガシャーン!」
外で事故が起きたようだ。
いつのまにか音は消えていた。
すかさず皆荷物を抱え込み、階段を駆け下りて外に出た。
会社の駐車場と歩道の境目の花壇が見事に破壊され、社旗掲揚ポール寸前のところで、大型トラックが止まっていた。
思えばこの事故のおかげで正気を取り戻せたような気がするが、運転席を覗き込むと、ハンドルに顔を埋めた運転手がいる。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、
「あぁぁーあぁぁー」
と声にならない呻き声を発している。
「やっちったーやっちまったぁー」
「まぁ、まだ自爆だから。相手がどうこうっていうのはないから」
「え?えっ?いきなり集団で飛び出して来て・・・やっちったーって・・・」
ホントかよ・・・間違いない、さっき私たちを見てた者たちだ。
(大丈夫。あれは生身の人間じゃないから)と言いたかったが、なぜかその時はグッと堪えてしまった。
社内に戻る気はさらさらなかった。
相手はいないし、物損のみの事故である。
運転手の免許証をデジカメで写し、ナンバーも撮った。
今日はレッカーを呼び、メーカー修理工場で朝を待つとの事なので、私は名刺を渡し、会社をあとにする。
誰も一人になりたい奴など今日はいなかった。
外の水道で顔を洗わせて、着替えもさせる。
そのまま皆で屋台に行き、朝まで飲んだ。
とにかく太陽が昇るまで、帰りたくなかった。
明日からは夏期休暇だ。
そして夏期休暇明け・・・休暇中に総務の者へ連絡しておいたせいか、花壇破壊に対する驚きの声は、ほとんどと言っていいほど無かった。
部下達からの声も、
「あの日はちょっと信じられないっすよねぇ」
などと、思ったよりショックはなさそうだった。
総務から内線が入り、打ち合わせ室に入る。
「例の事故の運転手の会社へ電話しました。会社に戻っていないようです・・・というか、戻れませんでした。あの事故の後、メーカー修理完了後に、今度はガードレールを突き破る事故を起こし、道路下に車ごと落下し、死亡しました・・・」
「うそだろ?」
「本当です。地方紙ですが新聞にも載ったという事で、保険屋さんに提出するための記事を、こちらにも送ってもらう手配を取ったところです。それと・・・Kさんですが、亡くなってはいないですよ。今のところは。ただ、未遂を起こしたとのことで、今ちょうど死の淵を彷徨っているところらしいです」
ん?じゃあ、Kの生き霊だったのか?
Kがここに来た理由が分からない。
多分、守ってくれたんだと勝手に思う事にした。
Kが鬱になったのは、仕事内容ではなく、もしかしてこれだったのか?
人一倍残業が多かったKは、この事(大勢の霊の存在)を誰よりもよく知っていたのかもしれない・・・
その後、誰もいないはずの倉庫で、陳列棚の倒壊が二回。
他の者が残業している間に、裏口からひっきりなしの呼鈴があり、開けたら誰もいない。
と思ったら、フロアのドアが開く音。
給湯室での女性事務員失神事件等々。
休暇明けの辞表提出者3名という、なかなかお騒がせな会社である。
ましてや、今現在も当然『それら』による現象は続いており、最悪の社内環境である。
御祓いもしたが、御札はどこかに吹っ飛ばされ、サカキは次の日に葉がほとんど取れ落ち、水はスッカラカン。
塩なんぞは、誰かが全部舐めてしまったかのようにキレイに無くなっている。
社内総勢約50名が、霊の存在を信じる事となった。
社名を挙げる事は出来ないが、今現在でも求人募集をかけている。
日本一長い国道沿いの会社への就職は、念のため気をつけていただきたい。