高校生の時、先生が授業の始めに突然「今日は俺の命日なんだ」と言った。
断っておくが先生は幽霊ではなく、ちょっと老けてはいたが立派な生身の現役教師だ。
一体何のこと???
とハテナマークのクラス一同に、先生はこんな話をしてくれた。
もうかなり昔に聞いた話なので、多分細かい間違いはあると思うがスルーで。
先生が若い頃、仲の良い友人が旅行に行くことになった。
先生は何か餞別をと考えたものの、貧乏大学生で大した金もなかったので、一計を案じて自分の学割をプレゼントしたのだそうな。
一足先に社会人になっていた友人は大変喜び、「船に乗るのに使わせてもらうよ」と、礼を言って受け取り帰っていった。
数日後の早朝、先生の家の電話が鳴った。
出ると親戚のおばさんが「○○さん!? 大変だよ! △△ちゃん(先生の名前)が~!!」と何やら泡食って叫んでる。
先生訳が判らず「あの、俺△△ですけど、どうしました?」と訊いたら、
「え、何、あんた△△ちゃん!? 生きてたの!? てかどうしてそこにいるの!!?」と
おばさんますますパニック。
どうにか落ち着かせて話を聞いた先生も慌ててニュースを見て、血の気が引いた。
友人が乗った船は、青函連絡船・洞爺丸だった。
当時は気象予報も未熟で、台風の目に入って一度風が収まったのに気付かずに出航してしまい、洞爺丸を含む連絡船7隻が沈没・座礁、死者は1100人を越し、世界海難史上第三位の大事故となった。
(詳しくはwikiの「洞爺丸事故」に譲る)
で、何で先生のおばさんがパニックで電話かけてきたのかと言うと、実は友人が乗船名簿に自分の名前ではなく先生の名前を書いていたのだそうだ。
本名を書いたら、他人の学割で乗船したことがバレて怒られる、と思ったらしい。(当然だが)
それが翌朝、ニュースで乗船名簿が報道されて、友人でなく先生が乗ってたと思われたと。
ニュースは他の知人も見ていたので、他にもあちこちから電話があって大変だったらしい。
ともあれ先生は乗ってなかったからいいとして、問題は友人の方。
もちろん先生はすぐさま友人の家族に連絡を取り、友人が洞爺丸に乗っていたことを伝えた。
けれど、どうか間違いであってくれという先生と家族の祈りも空しく、その後友人は遺体で見つかった。
ちなみにあまりの死者の多さに、函館の火葬場は当時遺体の焼却が追いつかなかったとか。
函館は何故か通夜の前に火葬を行うのだが、その起源はこの事故だと今でも一部で言われてるほど。
(実際は諸説ありはっきりしないらしい)
なお先生は後日、学割を友人に譲ったことで、警察の事情聴取でたっぷりと怒られたそうだ。
というわけで、先生は自分の名前が犠牲者(正確には乗船者)一覧として報道され、生きてるのに大変△△が事故で死んじゃった!?と大騒ぎされたので、「だから(事故があった)9月26日は俺の命日なんだ」と話していたのだ。
実際には乗客乗員全員が死亡したわけでなく、少数ながら助かった人もいたんだけど。
今思うとちょっと不謹慎なようでもあるが、事故から何十年も経ってなおそんな風に話すほど、先生にとっては忘れられない出来事だったのだろう。
それに先生の場合はすぐ間違いだとわかったけど、もしかすると他にもやっぱり訳ありで別人名義で乗船して、事故に巻き込まれたことすら誰にも知られないまま亡くなった人もいたかもしれない、と思うと自分にはちょっと怖い話だった。
行方不明者も随分いたらしいし、函館は昭和の大火でも大勢の人が海で亡くなってるし、おかげで「お盆に海で泳ぐと足引っ張られるぞ」という話が洒落にならなかった。
ともあれ毎年台風シーズンの9月になると、何となくこの話を思い出す。
なおこの洞爺丸台風を含む数々の事故・天災を紙一重で生き延びた西塚十勝の逸話は凄いので、知らない人はぜひwikiを読んでほしい。
これぞまさに不思議な話だと思う。
洞爺丸事故 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%88%BA%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E6%95%85