うちのばあさんは四国のとある港町で料理屋をやっているんだが、そこで常連としてよく来ていた、水産会社の社長から聞いたという話。
その社長曰く、ある頃から会社の事務所に女の幽霊が出るようになったと言う。
といっても、いわゆる貞子とかあーいうおどろおどろしい感じではなく、たまに事務所に現れては、儚げな表情で遠くを見つめて佇んでいるだけ。
それも昼間から。
もちろん幽霊なので見えない人には見えないし、見える人も最初は驚いたものの、誰かを恨んでいる様子でもなく、ただじっとそこに立っているだけなので、だんだん気にならなくなっていったそうだ。
社長もそのうちの一人で、あまりに普通にいるもんだから、その幽霊に「ケイコさん」と名付け、
「今日もケイコさん来てるなあ」
という会話が職場で共有されるぐらい、当たり前の存在になっていった。
その会社の事務所は船着き場に併設してあって、海上で作業がある時は、事務所の裏手から直接船に乗り込む形になっているんだが、ケイコさんはそのうち、裏手のコンクリの縁に立って海を眺めていたりとか、出没する場所もちょっとずつ増えて行って、しまいには皆が船に乗って出ていく時には、気が付いたら船の甲板に立っていた、なんてこともあったらしい。
それも段々当たり前になっていった頃、いつものように社員数名と社長で乗船し出港したところ、甲板の端っこに、またしてもいつのまにかケイコさんが立っていた。
この頃には社長もすっかり慣れてしまっていて、
「おーケイコさん今日も来たかー」
なんて呑気に話しかけていたそうだけど、ケイコさんは顔色一つ変えず、いつものように遠くを眺めていた。
同乗していた社員もその時は大半が見える人たちだったそうで、いつもの事と特に気にも留めず、作業を続けていた。
ひとしきり作業を続け、そろそろ会社に戻ろうかという時、社長がふとケイコさんの様子を見ると、相変わらず遠くを見つめてじっと突っ立っていたが、次の瞬間、ふい、と首を傾けて、斜め上の方を見やった。
社長も、それを見ていた他の社員もつられてケイコさんの見た方向を向くと、何と目の前には見上げるばかりの巨大なタンカーがすぐそこまで迫っていて、衝突目前のところまで来ていたそうだ。
なぜ気づかなかったのか、社長も社員も驚くどころの騒ぎではなく、身構えて船のへりに掴まったり、その場に転げ落ちたり、社長は社長で、もう間に合わないがせめて少しでも回避できないかと、大慌てで操舵室に駆け込んだ。
もうぶつかる!という瞬間、ふと視界の端にケイコさんの姿が映った気がして、反射的にそっちの方向に目をやると、さっきまでそこにいたはずのケイコさんがいなくなっていた。
あれっ!?と思ったのもつかの間、ついそこまで来ていたタンカーも同時に忽然と消えていた。
一瞬の出来事に全く事態を飲み込めず、一同しばらく呆然としていたが、その後は特に事故もなく、無事に帰港する事が出来たそうだ。
それからというもの、ケイコさんは事務所にも、船にも現れなくなった。
かなり入り組んだ内海なので、あんな巨大なタンカーが航行してくるとは考えられない。
あのタンカーは幻だったのか。
ケイコさんはなぜこの事務所や船に現れ、そして突然姿を消したのか。
何もかも謎を残したまま、それを確かめる術もなく今に至る、とのことだ。
まあこの話をばあさんから聞いたのは小学生か中学生のころなので、色々記憶を補完しているところがあるかもしれないが、何のオチもなく、ネタばらしもなく、ただモヤモヤする話で申し訳ない。
ただ何かを待つように、遠くを眺めて佇むケイコさんの姿を想像すると、何とも言えない不思議な、少し寂しいような気持ちになる。