花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
享和三年の二月二十二日、(伝承ではそうだが、実際は数日のずれがある)
現在の茨城県大洗町から鹿島市(北茨城という話もあるが、実際は旧大野村が正しい)にかけての海岸に漂着した、虚舟(うつろぶね)の話。
蛮国の王女として話は現在まで受け継がれているが、ガラス窓のある鉄でできた球体の舟と、異国の美しい娘(年の頃は二十歳くらい)と、娘が大事に持っていた大きな箱の行方についてだ。
話は虚舟を発見した村人たちが口裏を合わせて、娘と一緒に舟を海へ戻したというが、本当のところはそんな事はしていない。
舟も娘も村人の内の誰かに匿われ、今も残っている。
海に返したと当時の人間が口裏を合わせれば、それで済んだ事だ。
もし匿われたなら、漂着した海岸の村の有力者、即ちその辺りの地主が秘密裏に村の者達と協力して、娘と舟を隠し、育てただろう。
舟に刻まれていた文字が英語に似てるというが、どうみてもアルファベットには見えない。
△や〇やそれを繋ぐ線で描かれているし、舟の中には革張りの座席(シート)が二つある。
操縦桿は流線型の楕円形のハンドルだ。
ガラス窓を覆っている樹脂は、松ヤニではなく合成樹脂だ。地球上には無い。
先祖代々、箱と舟は蔵の下に隠され、娘の子孫が嫁ぐまで隠されてきた。
ある家系とその異国風の娘の血縁が結ばれるまで、大事に隠されてきたのだ。
運命と言えばいいか。宿命の歯車と言えばいいか。
初代太陽神の孫の側近から離れ、故郷の者の血と結ばれた。
ある勢力との関わりはここで更に強まり、現在に至るようになった。
誰も信じない逸話だ。
虚舟の話は、江戸時代の噂をまとめた書物『怪奇單』の一つに過ぎないが、書き手も噂をそのまま書いただけに過ぎない。
虚舟を見つけた村人達が口裏を合わせて、真実は口を噤めば、『海に戻した』という結論で終わる。
直径六メートル近くある鉄の舟を運び隠しておくには、それなりの大きな屋敷でなければならず、その土地の有力者、つまり、地主が舟と娘を匿い、蔵の中で密かに娘を生かしておいた。
藩主は小笠原という名の者だったが、旧大野村から大洋村、鹿島市の一部の地主の名前は違う。
藩主はその土地の権力者ではあるが、村人達の生活の基盤になるのは地域である。
地主はコミュニティーの長の役割も果たしている。
全員が噂として済ませれば、その当時は、こんなSFまがいな事に調査に乗り出る学者もいなければ、調べ上げる大名や幕府も存在しない。
他の事に一生懸命で、与汰話を本気にするお偉いさんなんかいるわけないのだ。
長い時間が過ぎれば、噂も褪せていき、証拠も消えて、ただの伝説になる。
ただ確実な証拠といえる舟や箱が後世に残され、
娘の血筋(遺伝子)と、天孫降臨後の奈良、大和国のある一つの家系が交配し、東北地方に身を置いた歴史が知られていない。
敵対するある勢力が娘の存在を知り、根絶やしを図ったが、大和国の一家族の子孫が娘の子孫と結ばれ、意志は受け継がれたのだ。
その頃から東北地方のある町では、皇室や世界各国の主要施設や、カトリック総本山のヴァチカンとの商業的な関わりが見え始めたのだ。
あまり知られていないけどね。
これは創作でも構わない話だ。