京介さんから聞いた話だ。
怖い夢を見ていた気がする。
薄っすらと目を開けて、シーツの白さにまた目を閉じる。
鳥の鳴き声が聞こえない。
息を吐いてから、ベッドから体を起こす。
静かな朝だ。
どんな夢だっただろうと思い出しながら記憶を辿ろうとする。
すると「スズメは魂を見ることができる」という話がふと頭に浮かんだ。
どこかの国の伝承で、スズメは生まれてくる前の人間の魂を見ることができるという。
朝、スズメがさえずるのはその生まれてくる魂に反応しているのだと。
その魂がやってくる場所が空っぽになっていると、魂を持たない子どもが生まれて来る。
そんな子どもが生まれる朝にはスズメはさえずらない。
だから、スズメの声の聞こえない朝は不吉さの象徴だ。
カーテンを開けると2階の窓から見える家並みはいつもと変わらない姿で、慌しい一日の始まりの息吹がそこかしこに満ちている。
そう言えば今日は何曜日だっただろう。
目を閉じて、一秒数えたら、他愛もなくありふれた土曜日の朝でありますように。
その日、つまり憂鬱なる月曜日。
学校への通学路の途中、道行く人々の群れの中でふと足を止めた。
視覚でも、聴覚でも、嗅覚でもなく、まだどれにも分かれない未分化の感覚が、街の微かな違和感をとらえた気がした。
私にぶつかりそうになったサラリーマンが舌打ちをしながら袖を掠めていく。
色とりどりのたくさんの靴が、それぞれのステップで私を追い越していく。
その雑踏の中で私は、ギギギギギ……という古い家具が軋むような音を聞いた気がした。
蠢き続ける人間の群れの中で身を固くする。
夏が一瞬で終わったような肌寒さを感じた気がした。
アスファルトから立ち上る、降りもしない雨の匂いを嗅いだ気がした。
けれどそのどれもが幻だということもまた同時に感じた。
なにか本質的なものがそれらのヴェールの向こうに潜んでいるような、得体の知れない嫌悪感が身体にまとわりついてくる。
道端のゴミ捨て場に集まっていたカラスが鳴いた。
一羽が鳴くと他のカラスたちにも伝播するように鳴き声が波のように広がる。
そばを通る何人かの人間がそちらを見た。
その声は求愛でも、縄張りを主張するものでもなく、ただ”何かを警戒せよ”という緊迫した響きを持っている気がした。
けれど誰もそれに必要以上の関心を示さず、足を止める人はいない。
私もまた形にならないどこか遠くにあるような不安感を胸に抱きながら、それを振り払い、学校への道を急ぐのだった。
何かがこの街に起こりつつある。
はっきりそう感じたのは次の日、火曜日の学校の昼休みだった。
「わたし、昨日怖い夢見た~」
昼のお弁当を早々に食べ終わり、どこか涼しいところで昼寝でもしようかと立ち上がりかけた時にそんな言葉を耳にした。
教室の真ん中あたりで机を4つ並べてお昼ご飯を食べているグループだった。
その言葉に反応したのは、なにか理由があったわけではない。
いわばカンだ。
けれどその子の次の言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがカチリと音を立てた。
「でもなんか~、どんな夢だったか忘れちゃった」
その音は鍵穴が立てる音なのか、それとも時計の針が綺麗な数字を指した音なのか。
私はドッドッドッ……と少しずつ早くなる鼓動をじっと聴いていた。
「なんで忘れたのに怖い夢って分かんのよ」
「そういや、そっか~」
他愛のない会話が続き、彼女たちの話題は何の引っ掛かりもなく見る間に変わっていった。
昨日・怖い・夢を・見た・どんな・夢か・忘れた・けどその言葉を、私は今朝も聞いた。
確かに聞いた。
既視感ではない。
あれは歩いて登校する時の、通勤ラッシュでごった返す人の群れの中だった。
誰が話していたのか、顔も見ていない。
ただその時、私は思ったのだ。
(そういえば私もだな)
今、まるで同じ言葉を耳にして私の中の動物的本能が不吉なものを察知した。
立ち上がり、教室を出る。
外の空気が吸いたい。
廊下を上履きが叩く音が二重に聞こえた。
誰かがついてくる懐かしい音。
でも私の行く後をいつもついて来ていた子は今、学校を休んでいる。
近々転校するのだと人づてに聞いた。
小さな針が、胸の内側をつつく感じ。
「山中さん」
という声に振り向くと、目立たない顔立ちの小柄な子が立っている。
高野志保という名前のクラスメイトだ。
少し前にある事件で関わってから妙に懐かれてしまっていた。
良い気分ではない。
私は出来るだけ一人でいたい。
「あの……私も見たよ。昨日。怖い夢。占いとか得意なんだよね。山中さん。ちょっと占ってくれないかな」
私は立ち止まり、顔を突き出した。
「急いでるんだ。また今度ね」
「あ、うん。ごめん」
踵を返してその場を立ち去る。
ああ。嫌なヤツだ。
軽い自己嫌悪に苛まれながら私は急いだ。
どこに?
どこか、人のいない処に。
その日の夜、私は暇つぶしに妹の部屋にあったローカル情報誌を拝借し、自分の部屋に寝転がって読んでいた。
テーブルの上のラジオからは知らない洋楽が流れている。
その雑誌を適当に飛ばし読みしていると、星座占いのコーナーで手が止まった。
地元では有名な占い師が持っている頁だ。
行ったことはないけれど、街なかに占いの店も出しているらしい。
その情報誌は月刊なので、ひと月分の運勢が星座ごとに並んでいる。
星座ごとで、しかも一ヶ月通じての運勢だなんて、血液型占いと同じくらい胡散臭い。
とりあえず自分の星座を確認して、それからもう一つの星座を読む。
こんなところがどうしようもなく女子高生っぽくて自分でも嫌になる。
その後、適当に前後の星座の運勢を読んでいると、どれもあんまり良くない書かれ方をしているのに気がついた。
『じっとしているが吉』『外出は控えて』『大事なものを失う暗示?』『もう一度考えて』……
星座の名前のすぐ横に5つの星が並んでいて、そのうち黒い星の数が多いほど運勢が良いということらしいのだが、私の星座は星1つ。
ほかの星座も1つとか2つばかりで、3つというのが最高だった。
どういうことだろう。
天井を見ながら少し考える。
急にドアをノックする音が聞こえて、ドキッとした。
適当に返事をすると妹が廊下からニュッと顔を出し、いきなりこちらを指さした。
「やっぱりここだ。返してよ。まだ読んでないんだから」
雑誌をもぎ取られそうになるのを力ずくで押さえ込んで、「この占いのページって、いつもこんな星のアベレージ?」と聞く。
妹はじっとそのページを見つめ、「いつもはそんな低くないよ」と答えた。
星3つとか、4つとかが普通とのことらしい。
「えー、なにこれ、やな感じ。この星占いのオバハン、なんか嫌なことでもあったんじゃない?」
妹はそんなことを言いながら、力を緩めた私の手から奪取した雑誌をまじまじと読み始めた。
「自分の部屋で読め」と追い出すと、なにか文句を言っていたが無視してベッドに寝転ぶ。
“嫌なことがあったから、腹いせで読者の運勢を悪く書いてみた”
やはりどこか違う気がする。
何故なら、悪くしないための警句ばかり並んでいたからだ。
ローカル誌か……
呟いて、それから目を閉じる。
いつの間にかウトウトしていたらしい。
ラジオの音に目が覚めた。
『……え? どんな夢だったかなぁ。忘れたけど。怖い夢だったってのだけは覚えてんだけどね。まあいいか。ははは。じゃあ、俺もお仲間だったということで、次のハガキね。
え~と、うちのオカン最悪です、エロ本整理されました、っていきなりだなオイ』
ラジオに飛びついてボリュームを上げる。
けれどエロ本談義の次はこの夏コンサートでやって来る大物外人の話題で、その後も二度と夢の話は出なかった。
やがてコマーシャルが流れ始め、地元のカジュアルショップの名前が連呼されているのを聞きながら私は、この街で何かが起こりつつあるという正体不明の予感に、足元を揺らされているような恐怖を感じていた。
怖い夢を見ていた気がする。
目覚まし時計を止め、あくびを一つしてから身体をベッドの上に起こす。
いつもはエンジンの掛かりが遅い私の頭が、今は急速に回転を始める。
思い出せ。
どんな夢だった?
暗いイメージ。嫌な。嫌なイメージ。怖いイメージ。
テーブルに置いてあったノートを広げ、ペンを持つ。
コツ、コツ、コツ、と叩いてからやがてガクリとその上に突っ伏す。
駄目だ。
忘れてしまった。
やけに静かな朝だ。
イライラする。リズムがない。
リズムさえあれば思い出せたのに。
スズメだ。スズメはどうして鳴かないんだ。
いきなりドアをノックする音が聞こえた。
ドキッとする。するより早く、胸の中に、サッと赤黒い暗幕が掛かった気がした。
「煩いな、いま起きるよ!」
自分でも思わぬ大きな声が出た。
その向こうで、わずかに開いたドアから母親の驚いた顔が覗いていた。
その日の朝ご飯どき、母親に乱暴な言葉遣いを説教されて一層不機嫌になった私は、学校でも朝からムカムカして気分が悪かった。
こちらに話しかけたそうな高野志保の遠慮がちな視線にもイライラさせられた。
水曜日の2時間目は美術だ。
さっそくエスケープした私は、人の来ない校舎裏に直行した。
煙草でも吸わないと、やってられない。
深く息を吐いて、白い煙が青い空に溶けていくのを見ているとようやく気分が落ち着いてくる。
昨日から今朝にかけて起こったことを一つ一つ順番に考えてみた。
いや、始まりは昨日ではない。
怖い夢を見たという漠然とした記憶は、かなり前から始まっていた。
この夏が始まるころ、いやあるいはもっと前から、緩やかにそれは私の日常を侵食し、そしてこの街の中に染み込んでいたのかも知れない。
誰にもその意味を気づかれないままに……
3本目の煙草を箱から出した時だった。
突然キーンという耳鳴りに襲われた。まるで、周囲の高度が劇的に変わったかのようだった。
(まずい。なにか起こる)
そう直感して、とっさに姿勢を低くする。全身を恐怖が貫いた。
けれどいつまで待っても何も起こらなかった。
恐る恐る身体を起こして、周囲を見回す。
地面にも、校舎の壁にも異変はない。
空を見ても、さっきとなにも変わらない。
入道雲が高くそびえているばかりだ。
胸はまだドキドキしている。
そういえば耳鳴りがしたあの瞬間、どこか遠くで雷のような音が鳴ったような気がする。
目を閉じて耳を澄ましてみたが、今はもう何も聞こえない。
耳鳴りもいつの間にかおさまっていた。
「なんなんだ」
自分に問いかけて、それから出しかけた煙草を箱に戻す。
授業に戻ろうかと考えて、やっぱりやめることにした。
さっきの耳鳴りがなにか反復性のもののような気がして、とっさに逃げ場のない教室には戻りたくなかったのだ。
次に学校から抜け出してみようかと思った。
それは素晴らしい思いつきに感じられて、いてもたってもいられなくなり、学校の敷地から出るために塀をよじ登ることさえ苦にならなかった。
誰にも見つからず抜け出すことに成功した私は、川の方に行ってみるか、それとも図書館に足を伸ばすか思案した。
真っ昼間に制服だと目立つな、と思いながら歩いていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
救急車の音だ。
そう思った瞬間、駆け出していた。
それはさっき耳鳴りがした瞬間に雷のような音が鳴った方角に向かっているような気がしたからだ。
その時にはどこから聞こえたのか分からなかったのに。
救急車のサイレンにキョロキョロとしている通行人を追い抜き、大通りを通り過ぎて、路地裏に入っていく。
10分ほども走っただろうか。
ざわざわとした人の気配が強くなり、角を曲がった時にその光景が飛び込んできた。
商業地から住宅地に少し入ったあたりの、寂れた2階建ての建物が並ぶ一角に救急車の赤いライトがくるくると回っている。
周囲には割れたガラスが散乱し、何人かの人が頭や腕を押さえて道路に座り込んでいた。
野次馬がその周りをウロウロしている。
地面には血の跡がポツポツと落ちている。
けれどそれ以上に私の目を惹くものが地面に落ちていた。
石だ。
パチンコ玉くらいのものから、子どもの握りこぶし大のものまで大小様々な石が周囲に散らばっている。
「落ちてきたって」「雹が?」「石だろ、石」「雹じゃないの」「空から落ちてきたんだって」
そんな言葉が辺りを飛び交っている。
雹という単語を聞いて、思わず手に取ってみたがやはりそれは石だった。
どこにでもあるただの石だ。
公園や校庭に転がっていそうな。
空を見上げたが、電線が一つ横切っているだけであとは飛行機雲一つない。
その路地の100メートルくらい先まで、石が乱雑に道路に飛散している。
ガラスも建物の窓が石で割られたものらしい。
よく見ると家の瓦屋根が割れているのも目に付いた。
本当に石がこの晴れた空から降ったのか? 天気雨のように?
そんなことがあるのだろうか。
隕石という言葉が頭に浮かんだが、どう考えてもそんな大げさなものではない。
「どいてどいて」
道路につっ立っていると消防隊員に邪険にどかされた。救急車が出るらしい。
私は少し考えてから、その石を一つだけスカートのポケットに入れた。
そして向こうからパトカーがやって来ているのに気づき、慌ててその場を離れる。
警察はまずい。平日の真っ昼間に高校の制服を着たままだったからだ。
彼らは例外なく皆お節介で、そして中高生のあらゆる非行が学校をサボることから始まると固く信じている。
後ろ髪を引かれる思いでその路地を後にした私は学校に戻ろうかとも考えたが、5秒で却下する。
しばらく路地裏を目的もなくうろうろしていたが、鋏を買うつもりだったことを思い出し、近くの文房具屋に足を向けた。
そう言えばこの辺りは最近来ていないなと思いながら、ささやかな商店街を歩く。
その間も頭はさっきの石の雨のことを考えていた。
たくさんの目撃者もいるようだ。
なによりあの割れたガラスや瓦屋根、そして怪我をした人間がその証拠だ。
石は降った。
それは間違いないだろう。だがどこからかなのか。それが問題だった。
近くにもっと高いビルでもあればその上の方の階や屋上からばら撒かれた可能性もあるが、区画上の規制でもあるのかそんな高い建物は見当たらなかった。
飛行機?
でも航路ではなかったはず。
なにより飛行機にあんな石なんて積んだりするものだろうか。
ましてそれを落っことすなんて。
飛行機雲も残っていなかったし。
「……」
集中しすぎて行き過ぎてしまったのでバックする。
その目立たない文房具屋には、何故か鋏がなかった。
店のオバサンに聞くと「売り切れ」とのこと。
「眉毛切る細いのならあるよ」という申し出を丁重に断り、店を出る。
近くにあったもう一つの小さな文房具屋でも鋏は置いてなかった。
というか、他の客もいなければ、店員もいなかった。
何か万引きでもしてやろうかと思った後、やっぱりやめておくことにする。
そんなに差し迫って欲しかったつもりもないが、鋏ごときが手に入らないとなるとなんだかムカついてくる。
ちょっと遠いがデパートまで足を伸ばすことにした。
幸いにしてそろそろ学校も昼休みになる時間だ。
お節介な人に見つかっても言い訳のしようがある。
大通りを抜けてデパートに着くと、さっそく雑貨のコーナーに向かう。
思ったより数が少なくてあまり選べなかったが、中でも大きめの使いやすそうなものを購入した。
何か食べて行こうかと思いながら、通りがかったフロア内の本屋に寄り道する。
特に探している本があったわけではなかったが、適当に巡回しているとその背表紙を見た瞬間に思わず棚から抜き出して手に取った。
『世界の怪奇現象ファイル』
晴れた日に空から不思議なものが降ってくるという現象はどこかで聞いたことがあった。
パラパラと頁をめくっていると、こんなタイトルの章があった。
≪空からの落下物≫
その話題に思ったより頁を割いていて、ボリュームがある。
本をひっくり返して値段を確認した後レジに向かった。
昼ご飯は抜くことになった。
その日の夜、晩御飯を食べながら夕刊を読んでいると母親に小言を言われた。
「まるでお父さんね」
大半は聞き流したが、この一言が一番効いた。
いつもは食べながら新聞を読むなんてことはしないのだけれど、今日はどうしても気になることがあったのだ。
なのにこの言われようはなんだ。
「こんどお父さんが食べながら読んでたら、まるでちひろねって言ってあげれば」と反撃したが、3倍くらいにして言い返されたので、もう黙る。
『真昼の椿事? 石の雨』
他のローカル記事に埋もれていたが、そんな小見出しをようやく見つけた。
午前中のことだったから、やはり夕刊に間に合ったらしい。
それは短い記事だったがあの路地に降った石の雨のことを取り上げていた。
軽傷者4名。被害にあった建物は13棟。
救急車に乗った人も大した怪我ではなかったらしい。
目撃者の談話が載っていた。
〔バリバリという大きな音のあと、急に空から石がバラバラと降って来た。最初は雹かと思った〕
音か。
私が聞いた気がしたのは、その音だったのだろうか。
〔住民も首を捻っている〕
そんな言葉でその記事は締めくくられ、結局石の雨の正体はわからないままだ。
「ごちそうさま」
と言って席を立つ。
残した料理のことについて母親に小言を言われることは目に見えていたので早足でダイニングを出ると、背中を追いかけてくる言葉を無視して2階の自分の部屋に逃げ込む。
ドアを後ろ手で閉めるとテーブルの上に置いたままの紙袋を手にとって、『世界の怪奇現象ファイル』を取り出し、ゴロンと絨毯に寝転んだ。
つけておいた折り目を目印に、目当ての頁をすぐに探し当てる。
≪空からの落下物≫の章にはこうある。
「にわかには信じられない話だが、この世には空から雨以外の奇妙なものが降ってく来るという現象がある。
それは魚介類やカエル、氷や石、それに肉や血や金属や穀物、そして紙幣など実に多種多様なものだ。
それらは紀元前の昔より世界中で多くの人に目撃されており、この現象に興味を持った超常現象研究家チャールズ・フォートにより『ファフロツキーズ(FAllS FROM THE SKIES)』と命名された……」
そんな説明に続いて、具体的な事例があがっている。
カエルや魚が降ったというケースが多いようだ。
1954年イギリス、バーミンガムのサトンパークでは海軍のセレモニーの最中、雨とともに何百匹、何千匹というカエルが空から降って来て見物人たちの傘にぶつかり、地面に落ちたあともピョンピョンと飛び跳ねていたという。
1922年フランスのシャロン=シュル=ソーヌでは、二日間にも渡ってカエルの雨が降り続いたと当時の新聞が伝えている。
近年の例では1989年オーストラリアのクィーンズランド州で民家の庭に1000匹のイワシが降ったとされる。
私はそんな膨大な事例の中から、石が降ったという記録を探し出していった。
1968年宮崎県の迫町で、ある薬局に小石に雨が降り、それが誰の悪戯とも判明しないまま半年間も続いたという事例。
そして1820年イギリスのサウスウッドフォードでは、ある家に石の雨が降り、通報によって警察官が配置される事態になったが、結局その石がどこからやって来るのか分からなかったという事例。
1922年カリフォルニア州チコの町の片隅に降った石の雨は、その現象が数ヶ月にも及んだが大学の調査チームにもその正体が分からなかった。
まだまだあったが、どれにも共通しているのは石の雨が広範囲に渡って降ったというわけではなく、むしろ極めて狭い範囲に集中してたということだろう。
1820年小石川の高坂鍋五郎の屋敷だとか、1600年代ニュー・ハンプシャーのジョージ・ウォルトンの屋敷だとかという記録を見ると、実にその個人に対して石の雨という攻撃が行われているような感想を覚える。
まるでその家の持ち主に恨みを持つ人間の仕業であるかのような気がする。
石がどこから来るのか分からないと言っても、誰かが見張っている時にはその悪戯を決行しなければいいだけの話だ。
そして監視がない時を見計らって、物陰から投石をする。
その場に居合わせない人間が考えると単純な構造に思えるけれど、実際はどうなのだろうか。
その『世界の怪奇現象ファイル』には、このファフロツキーズ現象についてのいくつかの仮説が紹介されていた。
チャールズ・フォートは地上からのテレポーテーションによって移動した魚やカエルなどが大気圏中のある空間に蓄えられ、それが時に奇怪な雨となって地上に降り注ぐのだと考えた。
他にもプラズマや空中携挙といった荒唐無稽な説もあったが、現実的に思えたのは飛行機からの落下説と竜巻説だった。
飛行機説はほとんどの落下物を説明しうる可能性を持っているが、個々の事例においてその飛行機の目撃が否定されるケースが多く、魚介類の落下など時代的に飛行機の登場の前後にあってもその出現パターンが変わらないように見える事例を解釈し辛い。
また、同じ場所に長期間に渡ってその現象が続くケースの説明にはならない。
竜巻説は地上の物体を空中に巻き上げて移動させ、別の場所に落下させるという現実に観測されるありふれた自然現象なのでもっとも有力な説にも思える。
しかしカエルばかりだとか、ニシンばかりだとか、トウモロコシばかりだとか、1種類の動植物のみが落下することの説明となると苦しい。
竜巻がそんなものを選り分けているのならともかく、地上にあっては他の動植物や石や砂を同時に巻き上げているはずだし、海や川にあっては水と一緒に水中の生物を種別に関わりなく吸い上げているはずだからだ。
空中に上ったあとで、その空気抵抗に応じた落下のタイミングがそれぞれ同じ種別を自然と振り分けるのではないかというもっともらしい解釈もあるが、やはり同じ場所に降り続けるケースの説明が出来ないし、周囲数百キロ圏内にその動植物が存在しないというケースも多々あるのだ。
そんな解説をつらつらと読んでいて、思った。
個々のケースを同じ現象で説明しようとするからややこしいんじゃないかと。
これは竜巻、これは飛行機、これはイタズラ、そしてこれは嘘。
そんな風に分けて考えれば、案外シンプルなんじゃないか。
立ち上がり、壁に掛けたスカートのポケットを探る。
そして昼間にあの路地で拾った石を取り出して、テーブルの上に置いた。
「これは、なんだろうな」
そう呟いて指でつつくと、それはコトンと音を立てて傾いた。
『世界の怪奇現象ファイル』を本棚に仕舞い、読み疲れた目頭を手の平の腹で抑えながらベッドに横になる。
その夜、私は母親を殺す夢を見た。