これは、本当にあった話です。
長年乗っていた車が車検を迎えたのを期に、私は新しい車を買いました。
中古車センターで見つけたその車は、黒のスポーツカー。
値段の割に綺麗で走行距離も少なく、とても気に入って購入したのでした。
ところがその車を家に持ってきた翌日、運転席に乗り込んで、妙なことに気付きました。
助手席に、何本かの長い髪の毛が落ちているのです。
一本手に取ってみると、少しばさついた真っ黒な毛。
しかし、中古車センターで試乗した人のものかもしれない、とその時はたいして気に留めませんでした。
そのまま車のエンジンをかけ、職場に向かった帰り道のこと。
私の自宅まで曲がりくねった山林を20分ほど走った所にありこの道は深夜にならずとも人通りがありません。
毎日通る慣れた道ではあるのですが、この時はどうしたことか、身震いを感じました。
「風邪引いたのかな……」
そう思った、その瞬間でした。
「はっ……?」
私は、左側の視界に”何か”が写ったことに気づき、一瞬凍り付きました。
「見てはいけない、見てはいけない……」
とっさに自分に言い聞かせ、私はハンドルを握り締めスピードを上げました。
しかしその時、パッと前方に白い影が走り、私は反射的に急ブレーキを踏みました。
キィィィィー。
凄まじいブレーキ音と共に車が停止し、前のめりになった時、
「ぎゃーーーーー!」
私は自分の声にならない声を聞きました。
助手席ドアの外側に、真っ黒な長い髪を振り乱した若い女性が張り付いてこちらを睨んでいたのです。
その髪と、今朝助手席で見つけた毛が自分の中で交錯してします。
「早く車を発進させなければ」
私は言いようのない恐怖と同時に、身の危険を感じ、慌てて車を発進させました。
「入れて~中に入れて~」
ドアに張り付いた女性が、窓ガラスを叩き始めました。
その声は、か細くもどこか力強く、私は無我夢中でアクセルを踏みました。
家に着いて、ハッと我に帰った時には、もうあの女性はどこにもいませんでした。
きっと幻覚を見たのだ、私は疲れているんだ、そう自分に言い聞かせ、
その日はすぐに床につくことにしました。
しかし、部屋の灯りを消して、眠りに入りかけた時です。
ペタン……ペタン……
廊下から、妙な音が聞こえてきたのです。
「連れて来てしまったんだ……!!」
鳥肌が全身に立ち、冷や汗がどっと流れました。
ペタン……ペタン……
その音は、生身の人間の足音とは違い、水分を含んだような音です。
「頼む、消えてくれ……」
私は一心にそう祈りました。
が、その音は段々私の方へ近づいて来ます。
ペタン……ペタン……
「やめてくれ~!!!」
恐怖のあまり、そう叫ぶと、私の頭の中に声がしました。
「入れて~中に入れて~」
私はもう半乱狂になり、とにかく知っているお経を全て唱えました……。
気付いた時には、朝になっていました。
やはり、疲れているため昨日の自分はおかしかったのだろうか。
しかし、廊下に出た途端、また昨日の恐怖が鮮やかに蘇りました。
なんと、玄関から私が寝ていた部屋の前まで、水跡のようなものが人間の足跡のようについていたのです。
『あの車には何かある!このままでは、身が危ない』
そう直感した私は、すぐに中古車センターに電話を入れ、車をまた買い取ってもらうよう手配しました。
車は友人に頼んで、センターまで持って行ってもらいました。
その後、水跡のついた廊下は気持ちが悪いので、板を全て剥がし、近くのお寺へ持って行きました。
私の話を全て聞いた寺の坊さんは、真っ青な顔をして
「その車にこそ霊がついている、その車を持って来なさい」
と言いました。
しかし、車はもうすでにセンターへ返したことを告げると、坊さんは静かに首を振りました。
そしてつぶやきました。
「その車についた霊は人を殺し兼ねない、いや既にもう何人かは……」
その後、私の身には何も起きていません。
しかし、あの車は今頃どうなっただろうか、と考えることがあります。
既に廃車にされていれば良いのですが……。
終わり。