私が工事現場のガードマンをしていたときだから、もう10年以上前のことだ…。
その日は東京・目白の駅の近くのビル工事現場に来ていた。
普段は先輩のYさんが独りで切り盛りしているのであったが、その日は大型の工事車両の搬入が数十台予定されており、また現場前の道幅が狭く、大型車の車幅ぎりぎりしかないため、歩行者の誘導要員として、呼び出されていた。
と、言ってもあらかじめ工事車両より無線で道路へ進入する連絡が入るので、ゆっくりと、歩行者を止め車を待てば良い手はずであり、楽勝の内容であった。
問題もなく作業は進み、ほとんどの予定車両は終了。
あと数台を残すだけとなった。
あと数台で終わると、緊張が解けかけたそのとき、現場へ来客がやって来た。
「おい、Nくん。お客さん来たから俺、監督呼んでくるね。ちょっとだけ独りで頼む!」
先輩のYさんはそういうと、事務所へ監督を呼びに走っていった…。
私は独り、無線を片手に工事車両からの連絡を待ちながら道路に立っていた。
5分、10分…Yさんは一向に戻ってくる気配はない。
無線からの連絡も無く、暇になった私は眼下に見える山手線をぼんやりと眺めていた…。
ブロロロロロ…
突然、大型車の排気音があたりに響いた。
私が顔を上げると、現場前の道路に工事車両がこちらに向かって走ってくる。
「や、やばい!」
私は辺りを見渡した。
幸い、学生達と数人の会社員風の男しかいない。
「今なら間に合う!」
私は、現場ゲートまで走って行った。
「すみません!工事車両が参りますので、少々お待ち下さい!」
私はそう叫ぶとと、私は手を大きく広げる動作をしながら、通行者へ背中を向けた。
そのとき、振り回した私の肘が、側にいた一人の学生らしき青年の胸板に当たった。
「うっ!…」
彼はそう呻くと後ろに仰け反った。
「ごめんなさい!」
目前に迫る工事車両を目の前に、私はろくに振り返りもせず、おざなりにお詫びをした。
すると、広げた私の手と青年の間に、サラリーマンらしき男2人が体を押し込んできた。
男ふたりは、体を使って私を前に押し出そうとしている。
「なんだ?、こいつら?」
業務の邪魔をされた私は、ぐっと足を踏ん張り、彼らをにらみ返した。
しかし、彼らは一向にひるむこともなく、私をにらみ返す。
ゲート前では、ゆっくりと工事車両が入口前で切り回しながらゲートに入ろうとしている。
そのとき、ゲート前に戻ってきていたYさんと監督の姿が目に入った。
「○▼×↓※◎☆〒♀▲!!」
Yさんは泣きそうな顔をしながら、私に向かって声にならない声で何かを言っている。
両手はまるで私を拝んでいるかような仕草で、左右に振っている。
よく見ると、隣の監督も同じ様な仕草を繰り返していた。
やがて、工事車両がゲート内に入りきると、私の後ろの男達の威圧も収まった。
私は、ようやく両手を降ろすと、後ろの歩行者に対して懸命の笑顔を作り、
「お待たせいたしました、どうぞお通り下さい!」
と、会釈をしながら頭を下げた。
しかし男達は歩き出さずに私を挟んで立っている。
男の、向こうを学生らしき若者達が通り過ぎて行く。
その中に私がエルボー(肘打ち)を食らわせた青年の姿が見えた。
私は即座に、
「さっきは、ごめんね!痛かった?」
と、大きな声をかけた。
青年は、こちらを向き「にこり」と笑いながら
「大丈夫!」と言うように軽く手を振ると、周りの友達と話しながら歩いていった。
そして青年が去ると、男達も私から離れて去っていった。
現場前では、Yさんと監督が、四つん這いになって肩を震わせていた…。
私は、何が起きたのかわからず、その場に立っていた。
※ ※ ※
その数週間後、何気なくテレビを見ていた私に、あの青年の婚約発表が飛び込んできた。
「礼宮さま、ご婚約!(現:秋篠宮殿下)」
プロポーズした場所は、現場前の道路出口の交差点だった…。
戦前なら、きっと処刑されていたなぁ…。