どことは書かない。そして長い。
あまり怖くはないかもしれないが、これは、先日、友人から聞いた話。
ある気妙な経験から仏門に入った友人が、この震災を期にまたつきあいが始まったんだ。
震災後の安否確認の連絡網から、消息不明だった友人、仮にAと連絡が付き、震災も落ち着いた頃に一緒に茶でも、と言う話になった。
ま、坊さんに酒でも、と言うわけにもいかないからね。
そいつは、大学時代オカルト研に所属していて、別の友人の帰郷先の昔話をオカルト研の仲間と実践して酷い目にあって、紆余曲折の末今は僧侶見習いをしている。
と言うかもうじき一人前になるらしい、なにをもって一人前か知らないが。
今はずいぶんと修行の成果があったのか、学生時分の浮ついたところがなくなり、落ち着いて昔話もできるようになった。
Aも仏門を叩くことになったきっかけの事件からも不思議な体験を重ねたらしく、修行中出くわした出来事を話してくれた。
Aはお使いで関東のあるお寺に向かっていたのだが、何せ修行中の身、駅からかなり離れているそのお寺まで徒歩で向かっていた。
これも修行の一環らしい。
その途中、山を削って通っている線路の上の陸橋を渡ろうとした時、1人の老人が陸橋脇にしゃがみこんで、お地蔵さんに手を合わせていたそうだ。
Aも見習いとはいえ坊さんの端くれ、その老人のわきで手を合わせたんだそうだ。
すると、その老人はAにむかって深々とお辞儀したあと、Aをじっと見つめるとこういったんだ。
「あんた、鬼と何か関わったことがあるね?」
Aはびっくりして老人に問い返すと、老人はこの地蔵の事を話し始めた。
「このお地蔵さんはな、鬼女を鎮めるためにあるからの」
老人の話だとこのあたりには昔、人を喰らう鬼女が住んでいたそうだ。
どこから流れ着いたのか、この山道(当時)通る村人や、旅人、子供をさらい、時には色仕掛けで誘っては、むごたらしく殺しては喰らっていたそうだ。
もちろん、時の領主は討伐の兵を派遣したりもしたが、鬼女の妖術の前には返り討ちに遭いなすすべも無く、村人は時には何も知らない旅人をこの道、と言うか坂に生け贄として向かわせたこともあったそうだ。
そんな鬼女におびえるある日、1人の旅の僧が村に訪れた。
僧は、はじめ村人に騙されて、鬼女のいる坂へと向かっていたが、何やらただならぬ空気を感じ取り引き返して村人を問いつめた。
観念した村人は鬼女の話を僧にすると、僧はそれなら自分が何とかしようと言い、日が良くないからと7日間の潔斎の後、鬼女の住む坂へと向かった。
その後、右腕を失った僧が村に帰ってくると村の長に、坂に独鈷杵(どっこしょ)の刺さった石がある。
それに鬼女を封じたが、今まで罪のない旅人を犠牲にした村にも因縁がある。
そこで、その因縁を断ち切るためにも、腕を失った自分の代わりに手を合わせて鬼女を鎮めること、鬼女の庵があるので、そこで鬼女に食われたもの達の墓を六つつくり慰めることを指示して、僧自身は腕を無くした自らの修行不足を恥じ、山へと帰っていった。
その後、六つの墓のあったあたりは六石塚、鬼女がいた坂はどっこ坂と呼ばれるようになった。
どっこ坂ではその後も村の人が鬼女を鎮めるために、旅の僧の指示通り、村上げての念仏が行われていたが、それでもときどき鬼女の影が坂を彷徨くことがあったらしい。
そんな風習も今では失われて、地名も変わってその名前を覚えているのは年寄りだけだったらしい。
そんな失われた風習が今でも残っているにはそれなりの理由があった。
それは、この田舎にも鉄道がやってきた時に事件が起こった。
鉄道はどっこ坂のある小山を切り開いて通ることになり、どっこ坂をまっぷたつにするように線路が通った。
地元の人間はどっこ坂の昔話を知っているので、鉄道の工事には反対したらしいが、用地は県の所有だし、どっこ坂の鬼女を封じた石は鉄道の方で移動して祀る事になったし、結局は押し切られることになったらしい。
ところがここは、この路線でも予想外のずいぶんな難工事になってしまい、工事中に何人か人死にも出たらしい。
それは工事中の事故だけでなく、自殺、変死もあったらしい。
地元の人たちは言わんこっちゃない、と鬼女の祟りがこっちに来ないように戦々恐々だったらしい。
それでも人の命の安かった時代、無理矢理にも鉄道は開通し、どっこ坂はなくなり、その後人死にが出ることもなくなり、人々はどっこ坂を忘れていった。
ところが、ここに一本の道路が通ったことでまた事件が起こり始める。
ちょうど線路によって分断されていた道が、整備されて陸橋が架けられた。
もとが旅人が通った道だけにルートとしては便利な道だったらしい。
ところが、道が開通してから不思議とそこで事故が多発する。
交通事故、自殺、変死、そんなことが半年に1、2度起こるようになった。
事故にあった人からは、女の影が~という人も続出した。
そんな話が耳にはいるようになってから、この老人は、ここがかつてのどっこ坂であり、女の影、というのが鬼女ではないかと考え、ここにお地蔵さんを建立したのだという。
そして、伝えられた儀式に従い念仏を月に一度は唱えているという。
「だが、これを知っているのももう儂1人だ。因縁のある村の末としてここまでやってきたが、もう、村人はちりぢりになって他の地に移り住んだし、余所から来たものはこんな話は聞いてくれん」
その後、どうなるか老人にも分からないが、逆に因縁のあるものがいなくなれば鬼女もいなくなるのかもしれない。
「儂はそうやって、鬼女を鎮めて、時にはその影を見てきたから分かるんじゃが、お前さんからは鬼の臭いみたいなものがする。いや、儂みたいな因縁みたいなものがある」
Aは老人の言葉にぎょっとした。
なぜなら、Aが仏門に入るきっかけが鬼、だったからだ。
「お前さん、〇〇寺まで行きなさるか。なら早く用事を済ませることだ。
暗くなってからはここを通ると縁に引かれるかもしれんからな」
老人お言葉にじわり、と汗ばむ季節なのにAの背筋には冷たいものを感じたそうだ。
Aは老人に挨拶すると、そそくさとそこを離れた。
老人の助言通り、早く用事を済ませて帰ろうと思ったらしい。
ところが世の中ままならないもので、Aの用事は夜までかかった。
そこで、無理をおして帰るほどAも怖いもの知らずではなく、寺で夜を明かしてから帰ることにした。
もっともAの方も暇な身ではないので、始発電車で帰ることにしたそうだ。
だが、厄介なことにAも修行中の身。
帰りも駅までは歩いていかねばならず、始発電車で帰るためには暗いうちから寺を出なければならない。
Aはさすがに嫌な気分になったが、それも仕方ない。
そこでAは寺の住職にどっこ坂の話を聞いてみた。
住職もはじめはピンと来なかったようだが、思い出したように言う。
「ああ、アレか。アレは下の方の△△寺が今でも供養しておるよ。
話によると鬼女を封じた石と独鈷杵の半分が今でもあるそうだ」
半分?
Aがその事を聞くと、住職は移転供養の際、工事人がロープを掛けるところを間違って独鈷杵を折ってしまったそうだ。
老朽化していたらしい。しかも輸送の途中で無くしてしまうと言うおまけ付き。
その話にAが青くなると、さすがに住職もバツが悪くなったのか、Aに△△寺の場所を教え、何かあったらそこまで行けばどっこ坂の鬼女も何もできないだろう、と言ったそうだ。
まあ逃げ場所を知ったAは、とりあえずそれで良しとし、その晩は眠りにつき、予定通り暗いうちに寺を出発した。
Aが朝靄の深い道をどっこ坂に向かって歩いていると、どっこ坂の方がやけに明るい。
嫌な予感がしたが、考えてみれば現れるのは鬼女の影で、光ではないのでAは臆病になっている自分を笑うとどっこ坂に向かって足を速めた。
近くによるとその光は車のヘッドライトで、どっこ坂の陸橋わきの土手に乗り上げていた。
事故か?
そう思って車の中を覗いてみると、車内には気を失った若い男女。
とりあえず息はあるしケガも見あたらない。
これは救急車より警察の方が、などと考えていたAの背筋に冷たいものが走る。
その嫌な感じのする方、ヘッドライトの先を見ると。
女、と思われる黒い影。
光を浴びて姿が見えるはずなのに、影。
その頭には角みたいなものまで見える。
そこまで認識した瞬間、Aは悲鳴を上げて逃げ出したそうだ。
ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ
ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ。
よく分からないがAの頭はそれしか思い浮かばなかったという。
もうAはよく分からないが坂を駆け下り、転びながら、それでもとにかく逃げた。逃げた。
△△寺に向かって逃げた。
どっこ坂の陸橋も越え、しばらく走っていたが、後ろに感じる嫌な空気。
なんだよ、鬼女ってのはどっこ坂にいるんじゃないのか?
もう随分走ってるぞ。
△△寺についちまうじゃないか、なんて考えながら、涙と鼻水を垂らしながらAは走った。
そのとき、△△寺に向かう道ではなく、右手の竹林に目が行った。
なぜか気がつくと道を外れて、その竹林にダイブしたA。
ごろごろ転がりながら、見えた後ろには、確かに鬼女の影があった。
これは、もうダメかと思った時、Aは竹藪の中で何か堅いものを手にしたらしい。
よく分からずにそれを握ると、近くの家から鶏の鳴き声が聞こえた。
それと同時に鬼女の影はだんだん薄くなっていったという。
ぜーぜーと言う呼吸が納まってきた時、
助かったのか?
そう思って影が消えた方を呆然と見つめていると、道から誰か覗いていたそうだ。
一瞬ビクッとしたが、よく見るとそれは昨日の老人だった。
「一体、そんなところで何をしてなさるのかね」
そう言って、老人が近づいてくると、Aはどっこ坂で見た事故?と鬼女の影のことをまくし立てるように話した。
老人はAの無事を喜ぶと、Aの手を見ていった。
「その、握ってるものは何かね」
Aも、自分が何か握っている事に気がついて、握りしめたものを確認すると、それは二つに折れた独鈷杵の半分だった。
「爺さんの話だと、鬼の縁で無くした独鈷杵の半分に引かれたのかもなぁ、とは言っていたが、正直もう鬼に関わり合いたくない。だって怖いんだよ、マジで」
Aはそう言うと、泣きそうな顔でぶるぶると自分を抱きしめた。
お前の実家の方だぞ、この話。
あそこら辺を通る時は気をつけろよ。
そんなことを言うAに、オカルト研でぶいぶい言っていたヤツが変われば変わるモンだと感心しながら
「で、その影ってのは本当に鬼女の形をしていたのか?」
と聞くと、Aはまじめな顔で答えた。
「いや、ホントに鬼女だって。だってラムちゃんみたいなシルエットだったんだぞ」
「……いや、ラムちゃんはないだろ」
真顔でラムちゃんとか言うAの表情のほうが、俺にとっては正直、怖かった。
いや、マジで。