師匠シリーズ 第99話 巨人の研究 前編

師匠シリーズ 第99話 巨人の研究 前編

師匠から聞いた話だ。

大学二回生の夏。ある寝苦しい夜に、所属していたサークルの部室で数人の仲間が集まり、夜通しどうでもいいような話をしてだらだらと過ごしていた。
酒も入っていたし、欠席裁判よろしく嫌いな部員の話や色恋沙汰に関する話が主だったが、その中である同い年の女の子がふいに流れを断ち切って、こんな話を始めた。
「そういえば、このあいだ変なもの見たんだよね」
「変なって、どんな」
「なんていうか、小人?」と自分で言いながら小首を傾げている。
彼女が言うことには、数日前の夕暮れ時に街を歩いていると急に雨が降ってきたのだそうだ。
傘を持っていなかった彼女は慌てて雨が避けられる路地裏に駆け込んだ。
そしてすぐに止みそうかどうか、空模様を気にしながら往来の方を眺めていると、足下になにかの気配を感じて飛び上りそうになった。
ネズミかと思ったのだ。ところがよく見ると、ゴミの収容ボックスの陰にいたのは小さな人間だった。
体育座りのような格好で無表情のまま前を向いてたたずんでいる。
大きさは自分の手のひらくらいだろうか。白いシャツと青いズボン。おカッパ頭の若者のような容姿。そのあたりは薄暗くてはっきりとは見えなかったけれど、人形とは思えなかった。ぼそぼそと口元が動いているようにも見える。
身体は凍りついたように動かない。真横にいる小人のようなものへ視線だけを向けていると、眼球を動かす筋肉が疲れて鈍い痛みがやってくる。
私が気付いているということに小人が気付いたら、いったいどうなるのだろう。
そう思った瞬間、どうしようもなく恐ろしくなり、雨が降り続いている道路へ向って後ろも見ずに駆け出した。
「怖かった、ほんと」
心なしか青ざめた顔で話し終えた彼女へ「人形が捨てられてただけだろう」という突っ込みが入ったが、「あれは人形じゃなかった」と繰り返した。
理由は直感だそうだ。
周りもそれ以上追及せず、「なんだかわからないけど、気持ち悪いな」という空気だけが漂っていた。
「そう言えば私も見た」
別の女の子が口を開く。
「夜中の十二時過ぎくらいだったと思うけど、バイト帰りにいつもの道を通ってたら変な声が聞こえてきてさあ」

そうして身振り手振りで説明してくれたところを要約すると、こういうことらしい。
一週間ほど前のバイト帰りでのこと。自転車で住宅街を通り抜けていると、急に前方から人の話し声が聞こえてきた。
小さな声だったが、それらしき人影が見当たらないので妙に気になり、キョロキョロとしながらペダルをこぐスピードを落とすと、「ビン」「ビン」という単語が耳に入ってきた。
ビン?
コーラの空きビンとかのビンだろうか。そんなことを思いながら聞こえて来た方向を見るが、民家の玄関があるばかりでやはり人の姿はない。
恐る恐る近づいて行き、遠くの電信柱に取り付けられた電灯の明かりにうっすらと照らされているブロック塀に添って、その向こう側を伺う。
中庭を隔てた敷地の中には明かりのついた部屋の窓がいくつか見えるが、玄関の門扉のあたりにはまったく人の姿はない。身を乗り出してブロック塀の内側を覗き込んでみたが、やはり誰も潜んではいなかった。
おかしいなと思いつつ、立ち去ろうとするとまた「ビン」「ビン」という小さな声が聞こえてくる。ぼそぼそとしたその話し声の中に「コーヒー」という単語も混じっている。
気持ちが悪くなり、もう帰ろうと自転車に足を向けかけた時、ブロック塀の上に取り付けられた木箱が目に入った。前面に飲料会社のマークが付いている。牛乳の配達をしてもらっているらしい。
ビンとはこのことだろうかと思って近づくと、「ビン」「コーヒー」というぼそぼそとした声が、その木箱のあたりから聞こえてくる。
ぞっとしながらも、好奇心に負けて手を伸ばすと、木箱の上蓋は何の抵抗もなく開き、その瞬間に声がぴたりと止まった。
木箱の中には牛乳ビンが二本、封をされたまま残されていて、そのビンと木箱の間のわずかな隙間に小さな顔が二つ覗いていた。
その二つの顔は呆けたような目を彼女の方へ向けている。
悲鳴を上げて彼女は逃げ出した。
「ホントにほんと。小人がいたんだって。箱の中に」
語り終えた彼女へ、牛乳ビンの他になにか別のものも入っていて、それが顔のように見えたのではないかという疑問がていされたが、彼女はあくまでも見間違いではないと主張した。
家の人が取り忘れたのであろう牛乳ビンについて、夜中小人がなにごとか話し合っていたというのか。奇妙な話だ。

「それに顔見る前に声が聞こえてたし。ビン、ビンって」
「でもそれって、配達用の箱が先に目に入ってたから聞こえた幻聴じゃないの」
「なんで。ビンだけじゃなくてコーヒーとかも言ってたし。コーヒーってなんだろうって思ったもん。それで箱の蓋開けたら、牛乳ビンが二本あって、片方色が違うんだよ」
「え?」
周りの仲間が気味の悪そうな声を出した。
「だから、片方コーヒー牛乳だったんだって」
なるほど。箱を開けるまで知りえなかった情報があらかじめ示されていたわけだ。幻聴だと言っていた一人も薄気味悪そうに黙り込んだ。
「実は僕もこの間……」
それまで黙って聞いていた男が手を挙げたかと思うと、おずおずと話し始めた。
数日前、真夜中に部屋に一人でいたとき、ふいに誰かの視線を感じて、思わず「誰だ」と口にしたものの、誰もいるはずがないと苦笑した。その直後にまた誰かの視線を首筋に感じる。刺すような視線。
うそだろう、と思いながら視線の感じる先に恐る恐る近づいていくと、本棚の後ろに女の横顔が見えた。
顔の左半分だけが壁と本棚の隙間から覗いていて、眼だけがギョロリとこちらを見ている。そんな隙間なんて、あっても一センチか二センチだろう。
彼は叫び声を上げて、近くにあった雑誌を顔に投げつけた。壁にあたってずるずると落ちる雑誌の向こうに妙にくすんだ肌色がまだ見えた気がして、喚きながら雑誌と言わずそこらにあったものを手当たり次第に投げつけた。
何も投げるものがなくなったころ、荒い息を吐きながらそちらを見ると、もう顔は見えなくなっていた。彼は本棚に全身を預け、わずかな隙間もなくなるように壁に向って力いっぱい押し付けた。子どものころに祖母に習ったうろ覚えのお経を唱えながら。
「それからその顔、出たの?」
「いや、その時だけ。でもあんなの見ちゃったら寝てられないよ。引っ越そうかなあ」
「そういや、私も友だちに聞いたんだけど、つい最近……」
そうしてその後も、小人やありえないほど狭い場所で人の姿を見たというような怪談話が口々に語られていった。
本人が体験したという話は最初の三人だけだったけれど、これほど似たような体験談が溢れ出てくると気味が悪い。

僕は黙って相槌を打っているだけだったが、どれも最近の話だということに引っ掛かりを覚えていた。
あえて口に出さなかったが、実は自分自身も三日ほど前に小さい人を見ていた。夕食後に近所を散歩していた時のことだ。
最初は子どもかと思ったが、道路に倒れこんで足をバタバタとさせていたのに、通行人の誰もがそちらを見ようともしていないことと、子どもにしても小さ過ぎるので、これはこの世のものではないと直感した。
小人は苦しげにもがいていたが、やがてずぶずぶと沈み込むようにアスファルトの中へ頭から消えていった。
自分の経験上、夏は特に霊感が高まる季節なので色々と奇妙なものを見てしまうのだが、小人のような霊を見てしまうことはあまり記憶になかったので、強く印象に残っていた。
(師匠に話してみるか)
友だちの体験談から、だんだんと誰から聞いたのかも分からないようなあいまいな噂話の類へランクが落ちて行っているにも関わらず、ますます盛り上がりを見せる即席怪談話大会を尻目に、僕はオカルトに関して師事している人の顔を思い浮かべていた。

その翌日のことだ。
正午を回ったころに、僕は自転車を駆ってある家を訪ねた。昨日サークルの部室で聞いた怪談話について、こうした出来事に造詣の深い自分の師匠ならどう思うだろうかと、意見を拝聴しに来たのだ。
ボロアパートの部屋の前に立ち、ノックをしたが反応がない。念のためにしばらく叩いていると代わりに隣の部屋のドアが開き、住人が顔を出して「お出かけのようです」と教えてくれた。
礼を言ってもう一度自転車に跨る。今日が土曜日だったことを思い出し、この時間ならあそこだろうとあたりをつけてハンドルを切った。
スピードを上げるとアスファルトで熱された空気が巻きあ上がるように頬にまとわりつくが、じっとしているよりもまだ心地が良い。
やがて目的の公園が見えてきた。公園と言ってもちょっとした球技ができる程度の広さがあり、大勢の子どもたちの掛け声が聞こえてくる。
「腰落とせ、おらぁ」
その声に混じって、子どもではない人の声が一際大きく聞こえてきた。

公園の球技用フェンスの前に自転車が止まっている。近づいてみるとやはり師匠のものだった。
フェンスの向こう側では、小学生と思われる十人以上の子どもたちがグローブを手に、土のグラウンドの上を転がりまわっている。
「セカンドどうしたっ、カバーが遅いぞ」
また大きな声を出しながら、金属バットで強烈なゴロを打っている女性がいる。師匠だ。
次々と放たれる白いボールに子どもたちが飛びついて行く。その瞳には、やる気に燃える鋭い光が……ない。うんざりしたような暗い表情で彼らは自分の身体を叱咤するように動かしている。
怒鳴られるから仕方がない。そんな雰囲気がありありと見とれる。
「何度言ったらわかるんだ。手で取りにいくな。腰落として身体で取るんだよ!」
子どもたちのイヤイヤ感などおかまいなしに容赦なくノックは続く。
師匠はその昔、少年野球で男の子に混じって活躍していたことがあるそうで、毎週土曜日にここで野球あそびをしていた子どもたちのふにゃふにゃした動きを見るにつけ、居ても立ってもいられなくなり、昔取った杵柄で金属バットを手にコーチを買って出たのだ。
もちろん子どもたちは喜んでいない。この変なお姉さん、早く帰ってくれないかな、と内心思っているに違いない。
彼らにはユニフォームもない。本当にただの野球遊びであり、どこかの少年野球チームと練習試合をするあてもないのである。
その彼らに、師匠はバントシフトやヒットエンドランなど、無意味と言っていい練習をさせている。
このあいだなど、ライナーをとっさのグラブさばきでみごとに捕球した遊撃手に対して、「落してゲッツー狙いにいけるタイミングだろうが!」などと怒鳴っていた。かわいそうに。
そんな無駄に高いレベルを求めるのであれば、コーチとしてチームの体裁を整え、保護者からお金を集めて、ユニフォームを作り、近隣の少年野球チームに話をつけて練習試合の一つや二つ段取ってあげるのが筋だと思うのだが。
彼女はそうしたことには無頓着で、ひとしきり身体を動かすとそれに満足して「少し休憩」ではなく「あとはやっとけ」と帰ってしまうのだ。完全に自己満足である。
子どもたちもある程度の時間我慢していれば、この変なお姉さんは帰ると分かっているので、口答えもせずに嫌々ながらも従っているようだった。
僕はなぜか申し訳ない気持ちでグラウンドの方へ近づいていった。

その時、師匠の自転車のカゴに一冊のノートが入っているのに気がついて足を止める。
ノート?
近づいて手に取ると、それはどこにでもあるキャンパスノートで、表紙には『巨人の研究』と黒のマジックで書いてある。
そんなに本気かよ。
プロ野球チームの戦術だか技術を小学生に叩き込む気か、と呆れてしまった。
「よおし、かなり動きが良くなったぞ。もう帰るから、あとはやっとけよ」
良く通る声で爽やかにそう告げると、師匠はタオルで汗を拭きながらこちらに引き上げてきた。「ぁしたー」という、嫌に空虚な合唱がその背中を追いかける。
振り返りもせずに右手をひらひらと振って応える師匠は、前に僕が立っているのにようやく気付いたようだ。
「どうした。お前もやりたいのか」
「遠慮しておきます」
師匠は僕のそばまでやってくると、ジャージの土ぼこりを払いながら、腹減ったと呟く。
「昼、まだですか」
「ああ。一緒に食うか。家にもらいものの素麺があるぞ」
軽く食べてきてはいたが、せっかくのお誘いなので御相伴にあずかることにする。
「それにしても、ジャイアンツの研究をするのは勝手ですけど、子どもで試すのはやめてくださいよ。そもそも巨人ファンでしたっけ?」
「なに言ってんだ。こちとら子どものころから阪神ファンだけど………… って、ああ、これのことか」
師匠は吹き出しそうになりながら自転車のカゴからノートを取り出した。
「巨人って、ジャイアンツのことじゃないよ」
笑いながら言う。
「じゃあなんですか」
「お前、そのことで来たんじゃないのか」
「は?」
「小さい人を見たって話だろ」
ゾクリとした。
さっきまで笑っていた師匠の目が、一瞬でこちらの目の奥を透視するような鋭さを帯びた。
「どうして分かるんです」
「そこまでの鈍感野郎じゃないと、期待していたから」
師匠は自転車に跨った。

「いつくるか、いつくるかと待ってたんだけどな。ジャイアンに空地へ連れ出されたのび太を、家で待っているドラえもんみたいな心境で」
まあ、家で話そう。腹減った。
そう言って師匠は自転車をこぎはじめた。僕はショックを受けたまま、それでもついて行こうと後を追いかける。
なんだ、この人は。
出会って以来、何十回、何百回目かも分からない言葉を呟きながら。

二人して大皿に盛られた素麺を食べつくし、ようやく人心地がついたと言ってあぐらをかく師匠に「こんなに沢山どうしたんです」と、まだ残っている素麺の束のことを問うと、「消防団に差し入れがあってな」という答えが返ってきた。
この人は学生だというのに、地元の消防団に所属しているのだった。それも副班長だというのだから、あらためてそのバイタリティには驚かされる。
「で、そっちの話から聞こうか」
師匠が麦茶を二つのコップに注ぐ。
僕は昨日部室で聞いたことをすべて話した。そして自分の体験談も。黙って聞いていた師匠は「それが昨日の話か」と確かめるように言って、このカスが、という顔をした。
「このカスが」
言われた。
気づいたのがようやく昨日とは遅すぎる、と言いたいようだ。
「お前は親殺しの夢の時にも前科があるからな」と付け加える。
その時のことは後から聞かされていた。今年の夏の初めに、この街の多くの人が自分の親を殺す夢を見たのだそうだ。
僕もそのころ何度かそんな夢を見た気はするのだが、あまり気にせずにいたので、本気で危機感を覚えて原因究明に奔走したという師匠に散々こき下ろされたのだった。
しかし、そのことと小人を見たという話に何の関係があるというのか。

「いいか。小さい人を見るという怪談はよくありそうだが、怪談話全体の比率からすると少ない。それは幽霊というよりも妖怪的な存在だからだ。
なぜなら、日本人の持つイメージの中で、死者の霊の現れ方としては一般的ではないから。小人を見たという怪談には、因縁話がからむことが少ない。
幽霊を見たという話には、それが幻覚にせよ何にせよ、前提として死者への畏敬という『原因』が存在することが多い。ところが小人を見たという怪談には、見てしまった、という『結果』しかない。
小人の姿でヒトのようなものが現れる必然性など、普通はないから。やはり幻覚にせよ、何にせよ、だ」
師匠は麦茶を一息に飲んで、カツンと音を立ててコップをテーブルに置く。
「まあ、なにが言いたいかと言うとだ。因縁話という『原因』があれば怪談は自然に発生するものだ。それがない小人目撃談はどうしても数が少ないんだよ。
もちろん古来から続く、妖怪もしくは妖精的な存在という、それ自体が正体であり因縁となった小人伝説はある。東北の座敷童やアイヌのコロポックル、徳島の子泣爺。一寸法師や桃太郎に代表される童子型の英雄譚も小人の一種だ。
遠く異朝をとぶらえば、ドワーフやレプラコーン、取り替えっ子をするピクシー、グレムリン効果で知られるグレムリンとかも小人だな。もちろんその手前に妖精という括りがまずあるけど。
ただこれらはもちろん、現代において頻繁に目撃されるようなものじゃない」
「それはそうでしょう。座敷童なら今でも出るって噂の旅館とかありそうですが」
「そう言えば、旅館の座敷童の絵がまばたきするっていう恐怖映像があったな。まあそれはともかく、問題なのは小さい人を見たという話がここ最近増えているってのが、いかに異常な事態かってことだ」
師匠は右手で受話器を持つような仕草をする。
「実話って触れ込みのくだらない怪談ビデオを作ってるディレクターに知り合いがいるんだが、電話で訊いてみても特に最近そんな傾向は見られないとよ。少なくとも関東近辺では。予感はしてたが、恐らくこの街だけで起こっていることだ」
たかが小人を見たという怪談話を無駄に大げさにしようとしているように思えて、変な笑いが出てしまった。
じろりと睨まれる。

「お前は昨日ようやく三つ四つの体験談を仕入れたところかも知れないけど、わたしはここ二、三週間で既に少なくとも百以上蒐集している。もちろんこの街で、それも最近の話ばかりだ」
百以上? 予想外の数に驚いた。強調されるまでもなく異常な数だ。
一寸法師だとかドワーフだとか、具体的な恐怖心を抱きようのない話に頭が浸かっていたところから、一気に現実に引き戻された気がした。背筋がゾクリとする。
「なんなんです、それは」
「なんなんだろうな」
試すような目付き。
小人を見たという人が増えている? どうしてそんなことが起こる?
考えても分からない。口裂け女や人面犬のように、子どものコミュニティーの中で爆発的に広がる都市伝説はあるが、この小人の話はただ小さい人を見たという共通項があるだけで、現れ方に一貫性がない。都市伝説の類にしては違和感がある。
「なぜなんです」
素直に訊いた。答えがあるならば知りたかった。
師匠は野球の練習に持って来ていたさっきのノートをかざすように手にして、子どものような笑顔を浮かべた。
「虚心坦懐、相対的に物事を見れば、ある仮説が自然と導き出される」
そうしてノートの表にマジックで書かれた『巨人の研究』という文字をゆっくりと指さす。
「小人を見る人が増えているということは、巨人が増えているということだ」
バカだ。
とっさにそう思った。それから少し考えても、やはりバカだと思った。師匠はたまに突拍子もないことを言い出すが、これは酷い。
「デカイ小さいってのは常に相対的なものだ。コロポックルから見れば人間は巨人かも知れないが、大入道から見れば小人だ。そしてその大入道もダイダラボッチから見れば小人に過ぎない」
だからって、いくらなんでも巨人が増えてるなんて話にはならないだろう。巨人の研究って、そんな短絡的な理由で始めたのか。
「まあ聞け」
「いや、でも待って下さいよ。おかしいでしょう。話の出どころが巨人たち自身の噂話だとでも言うんですか。それ自体が立派な怪談、ていうかオカルトですよ」
「フレンド・オブ・フレンドだ。この手の話の出どころに正体はない」
「僕は体験した本人から聞きました。もちろん普通の学生です」
「わたしからすれば『友だちから聞いた話』だ」

「だったら連れて来ますよ。直接訊いたらどうですか」
憤慨してそう言うと、師匠は熱くなるな、というジェスチャーをする。「悪かった。今のは冗談だ」
どこまでが冗談なのだか……
目を細めて眉毛を下げながら右手をお辞儀させる師匠を前にして、僕はなんだか疲れてしまった。
「せっかく調べたんだから、巨人の話も聞いてくれよ」
好きにして下さい、という気分だった。師匠はノートを広げてパラパラとめくる。
「ようし。巨人と聞いてまず何を思い浮かべる?」
「ダイダラボッチ」
「それさっきわたしが言ったからだろう」
「じゃあギガンテス。タイタン。アトラス。あとサイクロプス」
「日本でもRPGゲームとかでお馴染みになった名前だな。どれもギリシャ神話に出てくる巨人だ。ギガース、ティターン、アトラース、そしてキュクロープス。
いずれも大地の神ガイアを母、もしくは祖母に持ち、神としての巨人、つまり巨神といっていい存在だ。ただ、後世になるつれ怪物としての側面が伝承上に現れ、卑俗化、矮小化していった傾向があるな。北欧神話では何か知っているか」
北欧神話か。確か主神のオーディンの従者だか子分だかに有名なヤツがいたはずだ。
「ロキでしたっけ」
「お、いいぞ。ロキはオーディンに率いられたアース神族と対立した巨人族の血を引いているとされている。
その巨人族の祖がユーミルと呼ばれる巨人だ。もっともアース神族も一般的な感覚からすると巨人的な存在であることに違いはないがな。
ちなみにこのユーミルや中国の盤古(ばんこ)、それから古代バビロニアのティアマットなどは始原の巨人としての性質を持っている。
つまり、その身体、もしくは死体から大地や海、その他の自然や自然現象が生まれたとされているんだ。多くの神話の中でそれぞれ世界の起源が語られているけど、巨人からすべてが生まれたとするパターンは『世界巨人型』と呼ばれる」
「日本だとダイダラボッチなんかがそうですか」

「いや、ダイダラボッチは山や沼を作ったという伝承が各地に残ってるけど、あれは土を盛ったのが山になったり、足跡が沼になったりしただけで、自分自身が大地なんかになったわけじゃない。
デカイってことを強調するための逸話だな。日本にはこの手の世界巨人型の神話は分布していないみたいだ」
ノートには色々と調べたことを書き付けてあるらしい。ページをめくるスピードが上がってきた。
「他に、巨人と言えば?」
テストみたいだ。巨人、巨人、と頭の中で声に出していると、『世界の巨人』というフレーズが浮かんだ。
「ジャイアント馬場」
真面目に答えろと怒られるかと思ったが、師匠は嬉しそうに「それだ」と言った。
「さっきまでの巨人たちとはベクトルがまったく違うけど、これも立派な巨人だ」
僕は見えていた地雷を踏んでしまったかと、少し後悔した。師匠はかなりのプロレスマニアで、地元に興行が来た時に無理やり連れて行かれたことが何度もあった。
そういう人なので、プロレスの話をしばらく聞かされることを覚悟したが、意外にも話は逸れなかった。
「どうして馬場がデカイか知っているか。あれは下垂体線腫と言われる脳下垂体のホルモン分泌異常が原因だ。
下垂体線腫の中でも成長ホルモン産生下垂体線腫と呼ばれる病変は、先端巨大症や巨人症とも呼ばれる。病気で身体が大きくなってしまうんだ。
相撲取りの中でも江戸時代なんかには際立って大きな伝説的な力士がいるけど、あながち誇張とばかりも言い切れない。戦中戦後からこっちでも二メートル十センチ級の力士が何人かいるしな。
あと、最近見ないから引退したのかも知れないけど、バスケの日本代表に二メートル三十センチくらいある人がいたよな。あの人もたぶんこの病気だと思う。海外だともっと凄いヤツがいるぞ。
ロバート・ワドロウってアメリカ人は二十世紀前半の人だけど、二メートル七十二センチだってさ。父親と一緒に立ってる写真を見たけど、父親の頭がちょうどロバート君の股のところだったよ。
二十二歳で死んでしまったけど、ずっと身長が伸び続けていたらしいから、もし生きてたらどこまでデカくなったのか想像もつかないな」

実在する巨人か。
巨人が増えていると言ったさっきの師匠の妄言が、微かに輪郭を持ち始めた。しかしそういう人が急に増えるなんてことがあるものだろうか。
「さて、巨人も色々出たようだけど、大きく括れば現時点で二パターンに分類できるな。まず第一の巨人が、ダイダラボッチやギガンテスなどが属する『伝説上の巨人』という分類だ。そして第二の巨人が馬場やロバート・ワドロウが属する『巨人症による巨人』という分類」
師匠は右手を立てて、親指と人差し指を折ってみせる。
「そして」と言いながら中指を重ねるように折る。「まだ出ていないけど、第三の巨人が、ビッグフットや雪男などが属する『UMAとしての巨人』という分類だ」
あっ、と思った。
UMAか。アンアイデンティファイド・ミステリアス・アニマル。未確認生物のことだ。そのことを失念していた。
「伝説上の巨人ほどには荒唐無稽ではないもの、巨人症患者のように確実に存在しているとも言えない。常にその実在が議論の的になる巨人たち。
UMAは和製英語だから、正しくはクリプティッドと言うらしいが、ヒマラヤのイエティや日本のヒバゴン、中国の野人なんかもこれに入るな」
俄然、話が胡散臭くなってきた。師匠はやけに嬉しそうに続ける。
「UMAにも巨人は多いけど、物理的にはなくもないかも、という程度の大きさのものがほとんどだな。せいぜいが二、三メートル台というところか。ネッシーみたいな怪獣型のUMAだと相当でかいのもいるけど。
UMAの巨人はほぼ現生人類の亜種という正体がほのめかされているから、十メートルとか百メートルみたいな無茶も言えないんだろう。
ゴリラとかオランウータンみたいな大型の類人猿の見間違いというのが実際の話じゃないかな。でもこんな面白い話があったぞ。中国のUMAで毛人と書いてマオレンと読むヤツがいるんだが、字の如く毛むくじゃらの亜人間だ。
こいつが捕獲されたあと、研究所の一室に閉じ込めらて毎日実験動物として扱われていたんだけど、ある日研究員が部屋に入るとすでに死んでしまっていた。どんな風に死んでたと思う?」
「死ぬような実験はしてなかったんですよね。病気とかじゃないですか。ヒトに近いせいでインフルエンザに感染したとか」

「おしいな。ヒトに近いからというのはいい線だ。実は首を吊って死んでいた、が正解。絶望が死因になるのは人間くらいじゃないかね。いったい彼らは何を捕獲したんだろうな」
どこで仕入れた与太話か知らないが、いかにも師匠が好きそうな話だ。
「この第三の巨人が、現代に生きているとされているものの、その実在がしかるべき研究機関等で確認されていないというものなら、第四の巨人は現代に生きていないけれど過去に確実に実在した巨人、『人類の縁戚としての巨人』だ。
ギガントピテクスというのを聞いたことがないかな。百万年前から三十万年前にかけて中国やインドに生息していた大型の類人猿だ。身長でおおよそ三メートルくらい。年代的に北京原人やジャワ原人と生息期間がかぶっている。
人類の直接の先祖だという説もあったみたいだけど、早々に否定されているな。
他にも推定身長で十メートルを超えるような超特大の人骨が発見されたり、普通の人間の数倍の大きさの足跡の化石なんかが出土したりという眉唾モノの噂がオカルト界ではまことしやかに流れてるけど。
そういうのはどちらかというと第三の、『UMAとしての巨人』の分類に入れるべきだと思う。そして……」
いい加減しゃべり疲れたのか、師匠はまた冷蔵庫に麦茶を取りに行った。そして戻ってくるや、コップを傾けながらあぐらをかいて「で、だ」と言った。
「第一の『伝説上の巨人』と第三の『UMAとしての巨人』の中間に位置するのが、第五の巨人、『妖怪としての巨人』だ。
日本なら大入道や見越入道、野寺坊のような入道、坊主の類から、酒呑童子、瘤取りじいさんの話に出てくる赤鬼、青鬼などの鬼たちも巨人としての要素を持っている。海外にも一つ目鬼などの怪物譚が多々ある。
肉体を持たない幽霊的な現れ方をする巨人もいるけど、それもここへ分類していいだろう。そして最後が、完全に架空の存在としてデザインされた第六の巨人、『フィクションとしての巨人』だ。
まあ、あらためて説明するまでもないかな。漫画や小説に出てくるようなやつだ。レトリックとして使う音楽界の巨人、みたいな表現は無視しても構わないだろう。
これでおおむねこの第一から第六までの分類にどの巨人も収まるはずだ。実際には境界があいまいなケースも多いと思うけど」
なんだかややこしくなってきた。紙に書いて整理してみる。

第一の分類が『伝説上の巨人』
第二の分類が『巨人症による巨人』
第三の分類が『UMAとしての巨人』
第四の分類が『人類の縁戚としての巨人』
第五の分類が『妖怪としての巨人』
第六の分類が『フィクションとしての巨人』……
この六つの分類を眺めながら、なんて無駄な労力を使うのだ、と溜息をついた。
「どれが今回増えた巨人なんです」
もちろん厭味だ。
師匠はそれには答えず、ふふふと意味深に笑うだけだった。これだけ巨人のことを調べ上げて、本当に何がしたいのだろう。
「小人の話をいっぱい集めたそうですけど、そっちはどうなんですか」
「小人か。小人のことはまだ調べ切れてないが、とりあえず集めた目撃例では様々なパターンがあるな。小さいおっさんってのが一番多いけど、女や子どもの姿のものもあった。
出るシチュエーションも色々で、家の中とか学校、病院なんかの屋内もあればそのへんの道端でってのも多かった。心霊スポットで見た、なんてのもあったな。
家族や友だち数人で同時に見たというケースもあったけど、基本的には一人で、しかも夜に見るというパターンがほとんどだった」
僕は聞きながら、まるで幽霊と同じだな、と思った。
「さっきガキどもから聞いた話の中に、小人を捕まえたってのがあった」
「ガキどもって、あの野球少年たちですか」
それでノートを持って行っていたのか。
「家の近所の溝の中にぶるぶる震えてる小さいおっさんがいたから、捕まえてカラの水筒に押し込んで蓋を閉めたんだと。凄いことしやがるな。
でも、重さがカラの時と同じくなんか軽い気がして、家に帰ってから開けてみたら、中には何も入っていなかったらしい」
「最初は手で触れたのにですか」
師匠はニヤリと笑う。

「現代における小人との遭遇譚というのは、ほとんどがただ『見た』というだけのもので、それを触ってどうにかしたという話は少ない。
だからそれが手で触ることができない霊的なものなのかどうか、という部分が曖昧なままだ。今回のケースは、一度は触れたのにいつの間にか不可能状態から消失している。
深夜、タクシーに乗って来て、気がつくといなくなっているという幽霊の話に近い気もするけど、どうだろうか」
小人が、実体を持った存在なのかどうか、か。このあいだアスファルトへ吸い込まれていった小人を見てしまった時に、足を掴んで引っ張り出そうとしてみればよかった。
「わたしが怖いと思うのは、だ」
師匠はいやに慎重な口ぶりで顔をこちらに突き出した。
「どの話にも共通点があまり見られないということだ」
「それのどこが怖いんです」
「なにか共通の原因があれば、最近の目撃談の多さにも説明がつきそうなものだけど、例えば子どもに影響力の強いバラエティ番組で小さいおっさんの話が取り上げられた、とかな」
「それって、友だちの間の話題について行きたい子どもが作り話をする、ってことですか」
「作り話とは限らないよ。思い込みが原因でも、結果的に『見てしまう』ということはある」
なるほど。そういうこともあるのかも知れない。
「それなら、そのテレビ番組と同じシチュエーションで小さいおっさんを見た、という話ばかり増えてもいいようなものだ。しかし、さっき言ったように最近の目撃例は分類化できないほど様々で、どうも気持ちが悪い。
それぞれの個人的な体験の分布が、総体で見ると、ある密度を持ってしまっている。こういうまるで意味があるかのような偶然の集積体は、わたしの経験上……」
師匠は言葉を切ってから、ゆっくりと口を開いた。
「怖い」
真剣な表情だった。こちらまで居住まいを正さなくてはならないような。
「もう少し情報が欲しい。今日はこれから用事があるけど、明日、いや明日もまずいな。じゃあ明後日だ。ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだ」
「いいですよ」
そう言いながら、僕は得体の知れない寒気とともに、なぜか心地よい気分の高揚を覚えていた。何をしでかすか分からないこの人が、 僕はどうしようもなく好きだった。

★この話の怖さはどうでした?
  • 全然怖くない
  • まぁまぁ怖い
  • 怖い
  • 超絶怖い!
  • 怖くないが面白い