岡山県の県北には「広戸風」(ひろどかぜ)という局地的な暴風が起こる。
これは奈義山からの吹きおろしで台風の時は必ず被害があるため、台風になると古い家は板戸を補強したり牛舎の戸を釘で打ちつけたりするのが恒例行事だ。
うちの地方では広戸風の吹く日は外に出たら「持って行かれる」という言い伝えがある。
広戸風の被害は時として甚大で、屋根ごと飛ばされる家もでるくらいだから、ある種当然ともいえる言い伝えではあるが、これには実はいくつかの民話が残っている。
何種類かあるようだが、まとめるとこんなお話。
毎年夏になると台風の時期、広戸風にそなえて各家々は屋根の補強に忙しくなるが、その村のお袖という女性の家はそういう訳にもいかなかった。
夫が岡山の方(県南の中心部)へ出稼ぎに取られていたために男手が不足していた事もあったが、生まれたばかりの赤ん坊の世話も焼かなければならなかったからだ。
彼女は集落の中でも働き者で豪胆な性格だったので、少しずつではあるが一人で家の補強をしながら日々仕事もこなしていた。
その甲斐もあって台風までには母屋の補強は間に合ったのだが、一箇所補強し忘れていたところがあった。
牛舎の補強である。
当時の牛は大事な働き手であり、心細い家計の支えでもあったのでそのままにしておく訳にはいかない。
ところが、牛舎の事まで気が回っていなかったので補強に必要な角材やらが足りない。
おりしも台風が強くなりつつある頃合ではあったが、彼女は意を決して赤ん坊を背負ったまま天神社まで木切れを取りに行く事にした。
天神社はその集落から少し外れた林道の奥にある。
彼女は泣く子を背負子に背負ってあやしつつ薄暗い林を抜けていったのだが、道中突然空から大きな声がした。
「おい、お袖さん」
それは今まで聞いたこともないような大きな声で、言われるまでもなくこの世のモノとは思えなかったのだが、彼女は太い肝の持ち主だったので、怖がるわが子に背負子をかぶせてさらに先を目指したのだった。
「おい、お袖さん」
天神社の手前まで来ると今までよりもさらに大きな声で自分を呼ぶ声がした。
いよいよ恐ろしくなってきたが、とるものも取り合えず社にある使えそうな木切れをまとめて帰途についた。
もうじき林を抜けようかという時もう一度「おい、お袖さん」という声が聞こえ、今度は背中を何かに捕まれるような強い力を感じるに至って恐ろしさも極限になり、彼女は家までの道を走って帰ったのだった。
家に帰り、それでも離さず持ってきた木切れを見て一安心し、ふと背中の我が子に目をやると赤ん坊は背負子の中に顔を埋めてコチラから見えない。
恐ろしさのあまりか、あれだけ泣いていたにも関わらず今は黙って中にもぐっている。
どうやらお漏らしもしているようだった。
相当に恐ろしい思いをさせてしまったのだろう、と不憫に思い、背負子をはずして赤ん坊の顔を見ようとしてみると、、、
赤ん坊はうずくまっているのではなく、肩のあたりから何者かに強引に引きちぎられていた。
背中を濡らしていたのはお漏らしではなく、赤ん坊の出血だった。。
というお話。